「僧侶が上、信徒が下」――時代錯誤の歪んだ体質
「一切衆生平等」説く仏法に違背
「僧侶(そうりょ)が上、信徒(しんと)が下」――日顕宗に染み付いた時代錯誤(じだいさくご)の差別主義(さべつしゅぎ)は、僧俗(そうぞく)はもちろん、一切衆生を等しく仏にするために説かれた日蓮大聖人の仏法とは、正反対の邪義である。連載第5回は「日顕宗を破す(3) 僧俗差別」。信徒支配(しはい)を正当化する邪教団(じゃきょうだん)の歪んだ体質を斬(き)る。
◆ 信徒は生活の糧 “飯のタネ”
人種・民族、性別、職業等々、あらゆる面で差別の解消、撤廃(てっぱい)が時代の潮流(ちょうりゅう)となっている今日(こんにち)、その役割を宗教に求める声も少なくない。一方で、“差別”を宗旨(しゅうし)のごとく声高に叫んではばからない邪教団(じゃきょうだん)があろ。それが日顕宗だ。
1990年(平成2年)の「C作戦」発動以来、「僧侶が上、信徒が下」という日顕宗の差別体質が、次々と浮き彫りになっている。
たとえば、当時の宗門の公式文書には、信徒を見下す差別主義が繰り返し主張されている。
「僧侶がまったく対等の立場にあるように言うのは、信徒としての節度(せつど)・礼節(れいせつ)をわきまえず、僧侶の秩序(ちつじょ)を失うものである」(90年12月、学会に送られた「お尋(たず)ね」文書)
「僧侶には大聖人の仏法に即(そく)した本来的な差別が存(そん)するのは当然」「僧俗平等、僧俗対等などと主張することは、信徒として仏法をわきまえない大増上慢(だいぞうじょうまん)」(91年1月、総監・藤本日潤から学会に送られた文書)
「僧俗師弟義(そうぞくしていぎ)を蔑(ないがし)ろにすれば(中略)師敵対の大謗法罪(だいほうぼうざい)によって、必ず地獄に堕(だ)します」(同年11月、創価学会解散勧告書)
僧俗平等を主張することが「増上慢」「師敵対の大謗法」――よくもここまで“差別”に固執(こしつ)できたものである。こんな常識外れの主張が通用するはずもない。
現に、識者からも「衣(ころも)の権威にすがろうとする宗門の姿は、第三者の眼(まなこ)には滑稽(こっけい)としか映らない」「彼らが時代錯誤(じだいさくご)の差別思考の持ち主だということの証明」等々、次々と批判の声が寄せられた。
さらに世間をあ然とさせたのが、91年8月の教師講習会(きょうしこうしゅうかい)での日顕の発言だ。
「(信者が)信心がいやになろうが、何しようが、そんなことが関係ないんだ(中略)下らないことを言っては、ダメだってことを、頭から少しカマシてやればいいんだ! そんな者に対しては」
信者を教導(きょうどう)する立場の法主が、“信者が信心をいやになろうが関係ない”と言い放つ。ましてや“頭からカマシてやれ!”と暴言を吐くなど言語道断(ごんごどうだん)。人を救うべき宗教者の使う言葉ではない。
日顕は信者をどう見ていたのか。それが端的に分かるのが、「C作戦」発動の際に漏らした発言だ。
「20万人こっちにつけばいい」――なんと日顕は、信者が20万人いれば自分たちの贅沢な暮らしが続けられると、“皮算用(かわざんよう)”をしていたのだ。日顕にとって信者は、供養搾取(くようさくしゅ)の対象であり、生活の糧、“飯のタネ”にすぎないのである。
信徒蔑視(べっし)の体質は本山の建造物にも表れている。2002年(平成14年)に168億円もの莫大(ばくだい)な供養を注ぎ込んで建てた「奉安堂(ほうあんどう)」は、信徒用のトイレすら設置されておらず、雨天時(うてんじ)の待機場所(たいきばしょ)もなかった。宗門の重要行事を行う一宗の本堂にも、“信徒蔑視(しんとべっし)”が色濃く反映されているのである。
◆ 信心なき坊主が尊崇(そんすう)強(し)いる
そもそも、仏が出現した目的は、「如我等無異(にょがとうむい)[我(わ)が如(ごと)く等(ひと)しくして異(こと)なること無(な)からしめん]」――すなわち、一切衆生を仏の境涯に至らしめるためである。
大聖人は、「如我等無異とて釈迦同等の仏にやすやすとならん事疑(うたがい)無きなり」(御講聞書、御書817㌻)と仰せである。題目を唱えれば釈尊と同じく仏になることは疑いない。差別どころか、“同等”と、御教示(ごきょうじ)されている。
「法華経の行者は日月・大梵王(だいぼんのう)・仏のごとし(中略)此の世の中の男女僧尼(なんにょそうに)は嫌うべからず法華経を持たせ給(たも)う人は一切衆生のしうとこそ仏は御らん候(そうろう)らめ」(四条金吾殿女房御返事、御書1134㌻)、「法師品(ほっしほん)には若是善男子善女人乃至則如来使(にゃくぜぜんなんしぜんにょにんないしそくにょらいし)と説かせ給いて僧(そう)も俗(ぞく)も尼(あま)も女も一句(いっく)をも人にかたらん人は如来の使(つかい)と見えたり」(椎地四郎殿御書、御書1448㌻)とも仰せである。
仏法を語る人は、僧も俗も関係なく皆“如来の使い”である、と明快に説かれている。
しかし、日顕宗には、仏法とは無縁の「僧俗差別」という邪義が蔓延(まんえん)している。日顕宗が「僧俗差別」の根拠(こんきょ)として引用する唯一の依文(えもん)が「諸人御返事(しょにんごへんじ)」の一節だ。
「所詮(しょせん)真言(しんごん)・禅宗(ぜんしゅう)等の謗法(ほうぼう)の諸人(しょにん)等を召(め)し合(あわ)せ是非(ぜひ)を決せしめば日本国一同に日蓮が弟子檀那(でしだんな)と為(な)り、我が弟子等の出家(しゅっけ)は主上(しゅじょう)・上皇(じょうこう)の師と為らん在家(ざいけ)は左右の臣下(しんか)に列(つら)ならん」(諸人御返事、御書1284㌻)
だが、この御文の趣旨は、広宣流布(こうせんるふ)の暁(あかつき)には、大聖人門下が、それぞれ重要な立場で活躍するということを、当時の慣例(かんれい)に即(そく)して説かれたものである。あくまでも「役割」の問題であって、「僧侶が上、信徒が下」という上下関係を述べられたものではない。
それにもかかわらず、僧であるだけで特別の存在であるかのごとき邪義で威厳(いげん)を装(よそお)い、信徒が御本尊になした供養で、およそ聖職者とは思えぬ贅沢を尽くすために、御金言すら平然とねじ曲げる。それが、日顕宗の坊主なのである。
僧が堕落するようになった理由の一つとして、江戸時代を中心に、日本の仏教界に普及した檀家制度(だんかせいど)が挙げられる。寺は人々の戸籍(こせき)を管理し、弘教(ぐきょう)はせずに葬儀(そうぎ)などの儀式(ぎしき)だけを執(と)り行い、ただ供養を受けるだけの存在に成り果てていった。いわゆる“葬式仏教”といわれるものである。
こうして僧俗ともに、本来行われるべき仏道修行(ぶつどうしゅぎょう)が廃(すた)れていった。
この檀家制度の弊害(へいがい)に見られる、時代錯誤も甚だしい信徒蔑視(しんとべっし)の体質が、今なお染みついて離れないのが、日顕宗なのだ。
大聖人は、「旃陀羅(せんだら)が家より出(いで)たり」(佐渡御書、御書958㌻)、「民(たみ)が子にて候」(中興入道消息、御書1332㌻)と、御自身が一庶民(いちしょみん)の出身であることを誇(ほこ)り高く宣言されている。
かたや、自分が法主のせがれであることを鼻にかけ、特権意識(とっけんいしき)むき出しに、“現代の大聖人”気取りで坊主・信徒に“伏(ふ)せ拝(はい)”させるなど、尊崇(そんすう)を強要する日顕、そして日妙。「如我等無異(にょがとうむい)」という仏法の教えとは対極にあるのが、日顕宗なのである。
◆ 「僧侶主導」は完全に破綻(はたん)
日顕の賤しい本音と野心を語る上で欠かせないのが、法主になって以来、“基本方針”として掲げてきた「祖道(そどう)の恢服(かいふく)」だ。
「祖道」とは、「宗祖日蓮大聖人が実践された道」という意味で、本来は、数々の大難に直面しながらも、大法弘通(だいほうぐつう)を貫(つらぬ)かれた不惜身命(ふしゃくしんみょう)のお姿であり、門下を温かく励まし、正しく導く大慈悲の振る舞いのことである。
しかし、日顕は自ら折伏もせず、信徒の供養を散財(さんざい)し、遊蕩三昧(ゆうとうざんまい)を尽くしている。「祖道」どころか、大聖人とは似ても似つかぬ“俗物(ぞくぶつ)の中の俗物”である。そんな日顕に、宗祖の精神を語る資格など微塵もない。
日顕の言う「祖道の恢服」とは、自分が“中興(ちゅうこう)の祖(そ)”となって、宗史に名を残そうとの“野心”“妄想”に過ぎないのだ。
さらに、日顕が「祖道の恢服」とともに、「C作戦」発動後、新たに唱え始めたのが「僧侶主導の広宣流布」である。
日顕の狙いはこうだ。
「祖道の恢服」に名を借りて、それまで学会と僧俗和合で進んだ歴代法主を否定し、坊主中心、いや、自分が“独裁者”として君臨(くんりん)できる教団を作ろうと目論(もくろ)んだ。
しかし、この「僧侶主導の広宣流布」という考え自体、実は、「観心本尊抄(かんじんのほんぞんしょう)」の次の一節に完全に相反する。
「此の四菩薩(ぼさつ)折伏を現(げん)ずる時は賢王(けんおう)と成って愚王(ぐおう)を誡責(かいしゃく)し摂受(しょうじゅ)を行ずる時は僧と成って正法を弘持(ぐじ)す」(如来滅後五五百歳始観心本尊、御書254㌻)――折伏の時は、地涌の菩薩が在家の実力者(賢王)となって悪しき権力者を戒めていく、そして摂受を行ずる時は僧侶となって法を弘持する、と明言されている。
すなわち大聖人は、「僧侶主導」ではなく、むしろ“在家による広宣流布”を標榜(ひょうぼう)されているのだ。この御文の通り、宗祖の御遺命(ごゆいめい)である世界広布の大道を開いてきたのが創価学会である。
日顕の前任、66世・日達法主も、この「観心本尊抄」の一節を引いて、「池田先生は四菩薩の跡を継ぎ、折伏の大将として広宣流布に進軍(しんぐん)しております」(『大白蓮華』64年1月号)と讃嘆していた。
大聖人の仰せのままに邁進(まいしん)する学会に嫉妬し、広布破壊の大罪を犯した日顕は、「祖道の恢服」どころか、“祖道破壊”のニセ法主なのである。
日顕が掲げた「僧侶主導」の大方針を受け継いだ日如も、あの手この手で僧俗にハッパをかけるものの、大号令(だいごうれい)も空(むな)しく、水増し成果の折伏が横行してもなお、毎年、年間目標は大惨敗(だいざんぱい)を喫(きつ)している。
日如を筆頭として、“主導”するはずの坊主自身に、その信心も力もないのでは、“迷走”するのは当然である。
C作戦から四半世紀余――世界宗教(せかいしゅうきょう)として飛翔(ひしょう)する学会(がっかい)とは対照的(たいしょうてき)に、凋落(ちょうらく)の一途(いっと)をたどる日顕宗(にっけんしゅう)。もはや、正邪(せいじゃ)は歴然(れきぜん)である。
(2018年4月4日 『創価新報』 「民衆仏法の旭日」破邪顕正の軌跡)より
