池田 大作


 初代・牧口常三郎先生と二代・戸田城聖先生が、日蓮大聖人の仏法を信奉(しんぼう)なされたのは、1928年(昭和3年)のことである。
 仏法の日本流伝(るでん)より700年にして、御本仏が出現され、さらに700年を経て、創価学会が誕生した。実に壮大にして、不思議なるリズムといってよい。
 牧口先生が深く拝されていた御文は、「観心本尊抄」の「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(観心本尊抄254㌻)の一節であった。
 この仰せのまま、57歳で実践を開始した先生は「言語に絶する歓喜」をもって、それまでの生活を一新し、「暗中模索(あんちゅうもさく)の不安」や「生来(せいらい)の引っ込み思案(じあん)」も一掃できたと感激し、感謝しておられる。

 

 


紅白のボタン。我らも生命の歓喜の花を(池田先生撮影)



 「随喜するは信心なり信心するは随喜なり」(御講聞書835㌻)という地涌の生命の躍動が、ここにある。
 牧口先生は、広宣流布と立正安国へ、いよいよ遠大な目的を掲げ、畏(おそ)れなく大胆に、諸天善神を揺り動かしながら、勇猛精進(ゆうみょうしょうじん)していかれたのである。
 日蓮仏法の奥義は、果てしなく深遠である。
 学会精神の真髄は、どこまでも崇高である。
 先師と恩師の入信から90星霜。創立の父が殉教の日まで貫き通された偉大な初心に、私たちは、今再び、全世界の新入会の友と一緒に立ち返りたい。
 「うれしきかな末法流布に生まれあへる我等」(新池御書1439㌻)と胸を張り、「太陽の仏法」とともに、生活を社会を、そして世界を照らし晴らしていくのだ。


 創価山
    来たれる友は
       金色に
    いのち輝く
         勝ち鬨城かな


 我らは、この一年を「栄光の年」と定めた。
 「栄光」とは、どんな逆境でも、太陽のように一日また一日、たゆまず前進し抜く生命に輝きわたる
 大聖人は、紛然と競い起こる「三障四魔」に立ち向かう池上兄弟と夫人たちを励まされた。
 「今度ねう(忍)じくらして法華経の御利生(ごりしょう)心みさせ給へ、日蓮も又強盛に天に申し上げ候なり、いよいよ・をづる心ねすがた・をはすべからず」(兄弟抄1084㌻)
 思うにまかせぬ時こそ、「今に見よ」と歯を食いしばって勇敢に祈り、勇敢に戦い続けていくのだ。
 御本仏が、厳然と全てを御照覧くださっている。悪戦苦闘の只中でこそ、栄光の因が刻まれる。いな、それ自体が、未来までの栄光の物語となるのだ。

 


諸天を動かす強盛な祈りで、自他共の栄光の大前進を!

(東京・八王子市の東京牧口会館)



 我らには、題目という究極の生命の勝ち鬨がある。
 「法華初心成仏抄」には、明快に説かれている。
 「一度(ひとたび)妙法蓮華経と唱うれば一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯(ただ)一声に喚(よ)び顕し奉(たてまつ)る功徳・無量無辺なり」(法華初心成仏抄557㌻)
 今日も、妙法の音声を朗々と響かせ、わが家族、わが友、わが地区、さらには、わが国土からも仏性を湧現させながら、自他共の栄光を勝ち広げよう!
 末法一万年の果てまで、大法弘通を託されている学会だ。「この一年あればこそ」と後世から謳われゆく栄光の歴史を、共々に飾り綴ろうではないか!

 (『大白蓮華』2018-1 聖教新聞社)より