テムズ川に架かる橋。ほとりには白鳥が。友の心に橋をかけ、幸せの地域を築こう

(池田先生撮影、イギリス・ウィンザー)

 

 

  わが地域の広宣流布を一歩前進させる。そのために、どれほど深い祈りがあり、人知れぬ苦闘があることだろうか。この尊い一歩から、全ては始まる。

  それは「立正安国」の拡大にも、さらには「世界平和の前進」にまで、力強く連動していくのだ。

  60年前(2017年現在)の秋、師・戸田先生は「原水爆禁止宣言」を師子吼(ししく)し、核兵器の廃絶へ遠大なスケールで、平和の潮流を起こしていかれた。と同時に、先生が着手された重要な布石が、足元の生活の場である地域社会に密着したブロック組織の強化である。

  その模範、すなわち、幸せあふれる地域の模範をつくらんと、私は、東京の下町・葛飾区の初代の総ブロック長として、愛する同志と奔走を開始した。

  私たちが、まず挑戦したのは、「地域の全同志がしっかり勤行をできるように」ということである。勤行・唱題こそ、幸福になるための最も基本の実践であり、人間革命と宿命転換の源泉であるからだ。

  御義口伝には、「此(ここ)を去(さ)って彼(かしこ)に行くには非(あら)ざるなり」「今 日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は 山谷曠野(せんごくこうや) 皆 寂光土(じゃっこうど)なり)(御書781㌻)と明快に説かれている。

  ゆえに我ら創価家族は、一人また一人に仏法を語り、一軒また一軒と家庭訪問を重ね、地涌の題目を強く広く響かせながら、一番身近な地域から寂光土の建設に挑んできた。どんな難儀な場所でも決して諦めず、どんな災難の時にも断じて屈せずに!

 

 

 

Thames journey (テムズ川の旅)

 

 

  どうすれば、あの友が発心し、この家とも仏縁を結べるか。どうすれば、わが街に幸と正義の陣列を増やせるか。そう心を砕くリーダーの悩みこそ、地に足の着いた、何より気高い仏の悩みといってよい。

  だからこそ、仏の智慧が湧き、仏の力が漲るのだ。

  だからこそ、自他ともに仏の生命を呼び覚まして、現実の濁世の只中で互いに励まし合い、支え合う信頼と尊敬のスクラムを築き、広げているのだ。

  頼もしいことに、それぞれのブロックや地区や支部などの誇り高き “幸福責任者” の方々と一緒に、団地部、地域部、農漁光部(のうぎょこうぶ)、そして勝利島部(しょうりとうぶ)の宝友が、いずこでも、かけがえのない地域社会の希望の灯台となって光を放ってくれている。

  日蓮大聖人は仰せになられた。

  「大木の下の小木・大河の辺(ほとり)の草は正しく其の雨にあたらず其の水をえずといえども露をつたへ・いき(気)をえて・さか(栄)うる事に候」(御書1170㌻)

  自行化他の題目を唱える創価の友が、その家に、一人いるということは、「幸福の大樹」が毅然とそびえ立っていることだ。

  縁する人が、信心している、いないを問わずに、皆を必ずや妙法の福徳で潤していくことができる。

  さあ、御本仏より任された宝の郷土を、栄光の寂光土と栄えさせゆこう!  そして、世界の友と題目の師子吼を轟かせ、我らの地球に「平和の大河」をいよいよ滔々(とうとう)と流れ通わせていこうではないか!

 

 

  久遠より

    誓い願いし

       この地かな

     法土に変えゆけ

          幸の仲間と

 

 

目の前の一人と友情を結ぶことから、平和は広がる――

イタリア・フィレンツェの街角で、似顔絵を描く画家たちに、親しみをこめて声を掛ける(1994年5月)

 

  (『大白蓮華』 2017-10)より

 


 

 
 
  私はなんとか同志の皆さんに引っ付いていっている「ギリギリ」の学会員でありますが、日々、信心のこと、広布のことは一日たりとも、頭から、また、心から離れることはありません。
  なかなか芳しい活動もできず、結果も出せず悶々とした時間を過ごしていますが、師匠は、どこまでも温かく励ましを送ってくださいます。近くにおられたならば、きっと、ガツンと叱られてしまうかもしれませんが。
  ともあれ、有り難い師匠です。知れば知るほどに感謝が増し、その人格に憧れが増すばかりです。
 
  『わが地域の広宣流布を一歩前進させる。そのために、どれほど深い祈りがあり、人知れぬ苦闘があることだろうか。この尊い一歩から、全ては始まる』
 
  私のことはともかくとして、我が地域でも、地区部長・婦人部長はじめ、同志の皆さん、なかんずく、婦人部の皆さんは日々忙しい中、本当に身を粉にして、また心を砕いて、まごころから地域の方々と関わり尽力しています。
  とくに、わが地域の婦人部には、地元のボランティア活動に参加されていらっしゃる方が多いのもひとつの特徴です。
  先日行われた法戦においても、始めから終わりまで、率先して地域を駆けずり回っていたのも、やはり、婦人部の皆さま方だったのではないでしょうか。
  それゆえに、婦人部の方は、いつも、地域同志の近況をきちっと把握されていらっしゃいますし、とても壮年部の頭の上がるところではありません。
  自身の家庭のこともあるでしょう。自身の苦悩だってあるでしょう。
  しかし、辛い苦しみ、悩みを抱えているということは、人として苦悩を知ることができるということでありますので、じつは、有り難いことだと捉え返していける――と。
  また、そうであるから、わずかながらでも相手を思いやる心も、寄り添う心も養われ育っていくのでしょう。
  なんといっても、未来部、青年部への思い、心配りは言葉では尽くせません。
  婦人部の健気な振る舞いは、どこの地域においても、それは変わらないことでしょう。
  もちろん、壮年部だって、地区部長を盾に、婦人部にこうべを垂れながら、黙々と地道に頑張らさせていただいています(笑い)。
  ともあれ、有り難くも、私は、そういった地区の皆さまの、その後ろ姿を見させていただいて来ているので、冒頭での、師匠の包み込むような真心と、期待を寄せてくださっている言葉に、思わず目頭が熱くなりました。
  そして続く文で、ドラマチックに鼓舞して下さって、一幅の絵画を目の当たりにしているかの如く深い感動に包まれました。それが、
 

  『それは「立正安国」の拡大にも、さらには「世界平和の前進」にまで、力強く連動していくのだ』

 

  の、文です。

  私は自身に対し、信心しながらして、今のまま、生ぬるい環境に居ては、鍛えることも磨くこともなく、つまらない人生となってしまうのではないか、また、忘恩の輩となってしまうのではないかという危機感を感じました。

  なので、この師匠のダイナミックな励ましを、わが胸奥にしっかりと響かせておきたいと思う。

  広布を前進させるための一滴の発露ともいえる、「祈りと苦闘」を、最大に敬い、『尊い一歩』と記し、その発露が源流から川を下り大海原へと流れを進めるが如くドラマを展開させていくイメージが、私の心を揺さぶりました。

  ひとりでは到底成し得れない大願に向かって、名も無き民衆が一丸となって、一歩また一歩と力強く突き進んでいく未曾有の大物語です。

 

  今から60年前の1957年(昭和32年)9月8日、横浜・三ツ沢の競技場にて、5万人の青年が集って開催された「東日本体育大会」の席上で、第2代会長の戸田先生は、歴史的な「原水爆禁止宣言」を次のように発表しました。

 

  『「諸君らに今後、遺訓すべき第一のものを、本日は発表いたします」と述べ「今、世に騒がれている核実験、原水爆実験にたいする私の態度を、本日、はっきりと声明したい」「私の今日の声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたい」「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、いま世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う」「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」「(この)思想を全世界に広めることこそ、全日本青年男女の使命であると信じるものであります」と高らかに宣言しました』

  (『SOKAnet  創価学会公式サイト』)より 

 
  そして、今。
  『ICANの方々と手を携え、世界中で核兵器廃絶を訴える展示の開催など民衆行動を進めてきた創価の青年を、恩師も労い、讃えてくださっているに違いない。
  「核兵器なき世界」への大いなる一歩前進である。「無理だ」「不可能だ」と絶望するような局面でも、絶対に諦めない。皆が心を合わせ、連帯を広げ、新しい力を糾合すれば、世界の未来は必ず開いていけるのだ。
―  ◇  ―
  日蓮大聖人は仰せである。「御勘気を二度まで・かほり・すでに頸となりしかども・ついにをそれずして候へば、今は日本国の人人も道理かと申すへんもあるやらん」(御書1138㌻)
  いかなる試練があろうと、恐れなく正義を掲げ、叫び切る。その一貫した信念の行動が、人々の心を変える。
  大聖人の「立正安国」の御精神と、恩師の遺訓を原点として、我らは、どんな困難にも一歩も退かず、大誠実の対話を貫き通している。だからこそ、今や世界の良識が絶大なる信頼を寄せ、創価の前進勝利を熱く見つめているのだ。
  「地球民族の平和の柱」「生命尊厳の哲理の眼目」「人道勝利の栄光の大船」として、遠大な未来を展望しつつ、今日も一人一人と心を結び、仏縁を幾重にも広げていこうではないか!』
  (2017年10月14日  『聖教新聞』)より
 
  と、戸田先生の師子吼は、池田先生をはじめとする、当時の青年たちから現代の青年たちの手によって、「核兵器なき世界」への闘争は、断続的に推し進められてきています。
  そして、その流れの勢いは、今なお世界のさらに隅々へ、そして未来へと、力強くうねるように水かさを増している。
  戸田先生が、「諸君らに今後、遺訓すべき第一のもの」として託してくださった、「(この)思想を全世界に広めることこそ、全日本青年男女の使命」は、しっかりと受け継がれています。
  私は心改めて、非力なれども、私の立場で、私のできることで、広宣流布の歯車の一部として尽力していこうと思いました。
 
  そして、この闘争と同時に、戸田先生は、「足元の生活の場である地域社会に密着したブロック組織の強化」にスポットライトをあて、力を注いでいかれた。
  師弟不二の弟子である池田先生は、師匠に応えるように、その構想実現へと、誰に言われるのではなく自ら進んで、『幸せあふれる地域の模範をつくらんと』との思いで、まさに、同志の皆さんの広布拡大への活動の「模範」を自らの行動でもって示してくださっています。
 
  池田先生が、まず挑戦したのは、
  「地域の全同志がしっかり勤行をできるように」ということです。
 
  勤行・唱題こそ、幸福になるための最も基本の実践であり、人間革命と宿命転換の源泉であるからだと仰っています。
  「勤行・唱題こそ」の、この “こそ” とまで言われるのは、幸福になるための最も基本の実践であり、人間革命と宿命転換の源泉であるがゆえであり、だからこそ、自行化他の題目にこだわるのです。
 
  どんな時にも、また、何処であれ、御本仏に任された使命であるから――。
 
  先生が、「まず挑戦した」このことは、今後、私たちが永遠に弛むことなく「まず挑戦していくこと」「挑戦し続けていくべきこと」なのではないだろうかと思いました。
 
 
 
 
 
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