昨日の続きです。

5年前の事を思い出しながら書いています。

 

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21回目の移植も残念に終わった事がわかり

 

Y先生に

 

医者「40歳過ぎると48歳まで妊娠率は変わらないよ。」

 

って言われたことで

「まだまだ挑戦するぞビックリマーク」って気持ちだけをダーリンに電話で伝えて鼻息荒く帰りました。

 

 

Y先生ったらドキドキ

そんな事言われたらまだまだ5年も挑戦できるじゃな~いビックリマーク

まだ何度か挑戦したら妊娠できるかもしれないんだラブ

 

 

そして夜に話合い!!

 

 

 

 

する予定だったのですが、私の気持ちがだんだん落ちていきましたダウン

また採卵からスタートする事になると

仕事の調整が大変だし、

周りのみんなに迷惑かける。

それだけでない・・・

 

 

もう自分の気持ちがついていかないビックリマーク

 

 

 

もう一度奮い立たせてもきっと長続きしないだろうと思い、

仕事から帰ってきたダーリンに

 

 

わんわん「やっぱり続けるのは無理・・・汗

 

気持ちを伝えました。

 

私たち夫婦は、何度も話し合いを重ねました。

 

ダーリンは

「何も悪いところがないのになぜ僕たちのところには子供ができないんだビックリマークって

涙をためながら叫んだことがあります。

何か原因がある方がわかりやすいけれど、

原因が見つからないのも「不妊症」なんですよね。

 

 

5年以上前のことなのに書いていて涙が出てきちゃった笑い泣き

 

 

 

自分だけでなく、ダーリンにもそしてお互いの親にも子供の顔を見てもらいたかったな。

って思います。

 

でも・・・

私たち夫婦には子供はできませんでした。

 

これが現実。

 

どれだけ頑張っても結果が伴うとはわからないのです。

 

治療費もたくさん使いました。

そこそこの車買えるよね~ってくらい笑い泣き

 

 

治療しているころは他人の妊娠に敏感になっていたこともあるし

治療でお金がかかるので、お洋服もみすぼらしくなったような気がします。

いや、お金も関係するけれど買い物に行く気持ちになれなかったってほうが大きいかな。

 

 

私たち夫婦で治療の終わりを決めてから

私はちょっと箍(たが)がはずれて遊びまくりましたケド滝汗

普通の精神状態に戻っていきました。

 

 

今は夫婦二人で仲良く暮らしてます。

「お子さんは?」って聞かれても「夫婦二人です」って普通に答えられます。

この普通ができなかったんですよ。

治療中はね・・・

 

 

私は新しい仕事も始め楽しく毎日を過ごしております。

しっかりと自分の人生を生きていきます!!

 

 

今、治療で頑張っている方ビックリマーク

出口が見えない治療をしている時って

不安だし、誰にも話せないし、ホントつらいと思います。

 

 

私みたいに、結果は出なかったけど

今は楽しく過ごしている人もいるって知っててください。

 

 

自己流ベビ待ちを除いて不妊専門病院に通ったのは

2008年10月~2014年2月までの5年4ヶ月。

38歳~43歳までの治療の記録でした。

スタートからいきなり体外受精だったからね。

 

 

 

 

「あの頃はしんどかった!」

って思いますけど、後悔はしてません。

 

 

またこのブログで何かを書きたくなったらまた来ますね。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございましたニコニコ

 

 

 

ブログで交流がなかった方も

こっそり読んでくださった方も

 

応援ありがとうございましたおねがい



わんわんあさちんわんわん

もう知っている方、だれも見ていないでしょうが、

中途半端になっているブログが気持ち悪い・・・っていうのも本当の気持ちで

もう一度このブログに戻ってきました。

 

わたくし事「あさちん」は先月48歳になりました。

ひゃ~!!

時がたつのは早いですね。

 

5年前の出来事を思い出しながら書くことになりますが、

このブログの為に資料をちゃんと残していたので

そういった意味では正確にかけるのではないでしょうかね。

 

 

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前回の記事で書いていたように

移植21回目はなかなか内膜が厚くならず、

エストラーナを貼って貼って貼って・・・貼り続けての30日。

本当は仕切り直しをしたかったけれど、

仕切り直しの気持ちを先生に伝える事も出来ず移植日が決まり、

そして移植後2週間後判定日を迎えました。

 

 

 

 

そして、

 

 

 

 

 

 

 

今回も例外は起きず 陰性笑い泣き

 

 

この日は私の大好きだったY先生。

凍結卵もなくなり、次回の採卵スケジュールの紙を渡されました。

 

この移植が陰性ならば、もう治療を終了しようとダーリンとも何度も話し合っていました。

43歳の誕生日を迎えて、

そろそろ潮時なのかな・・・って思うのもわかっていただけますよね!?

 

 

でもY先生は違いました。

 

わんわん「この移植で最後にしようと思ってました。43歳にもなったことですし・・・」

 

医者「あさちんさん、43歳で妊娠率がぐっと下がると思っていませんかはてなマーク

 

わんわん「はい。43歳過ぎると妊娠できる可能性が急激に下がるんですよねはてなマーク

 

医者「そんなことないですよ。40歳過ぎると48歳までそんなに変わらないですよビックリマーク

  あさちんさんはまだまだいけますよ。

  ちゃんと卵もとれていますし・・・」

 

わんわん「えーーー!!びっくり

 

医者「何回で妊娠するってないんですよ。

  何度も頑張って結果を出されている方もいますし

  あさちんさんは、まだまだ挑戦する価値ありますビックリマーク

 

わんわん「先生~ビックリマークそれだったら私、48歳まで後5年も挑戦できるんですねゲラゲラ

 

医者「そうですよビックリマーク

 

こんな会話をして、治療を終わらせることがまだもったいないような気がし始めました。

 

会計を終わらせて病院を出た瞬間にダーリンに電話iphone*

色んな説明を終えた後に

 

わんわん「あと少し続けようよ。このまま終わらせるのもったいない」って

 

鼻息荒く電話しました。

病院帰りは、自分にお疲れ様の意味も込めて

パスタとワインを昼間っから飲んで帰りましたてへぺろ

 

 

そしてその夜ダーリンとの話し合いです。

 

長くなったのでまた次回ばいばい

 

 

 

前回の続きです。

記録のために過去の出来事を記事にしています。

 

D20

担当の先生が誰だったかも覚えてないな…

でもこのころは院長先生のお部屋に通されることがほとんどなかったな…

ちょっとだけ見放されたはてなマークって思うこともあったけど

どの先生も安心してお任せできるっていうのがここALCの凄いところなのよね~

そしてこの日の内膜も薄薄…ちーん

内膜を測る先生が何度も何度も見てくれて

強引に8㎜(合格ライン)に持っていかれましたショック

一番厚いところでも7㎜ちょっとしかないように見えるのにな…

 

残りの凍結卵は3個卵子卵子卵子

今回の移植で治療を最後にしようと思っているので

万全な体制で臨みたい…

こんなに内膜が薄いなら

今日の診察で仕切り直しをお願いしようビックリマーク

次の周期だと少しは暖かくなって内膜もフカフカになるかもうふ♪

と思っていたのに…

D30で移植をしましょう~って先生に言われ

断れなかった…ガクリ

 

D30

凍結卵3個は3日目胚で8B 8A 5Aという評価でした。

この中の2個を移植。

残りの1個を培養→胚盤胞にならず・・・

毎度のことながら移植しづらい(器具が素直に入ってくれない)ので

移植の順番は一番最後…

いいのですよ。一番最初でなくても…

でもMAXおしっこを溜めていないといけないので毎回最後はつらいよ~ヒィー

 

このころのALCは移植した卵さん達の写真ではなく

動画をDVDでいただけてました。

もしミラクルがおきると子供の3日目胚の状態から記録に残せるって素敵ですね星に願いを

アルバムの1ページになるのかしらわからない

 

そして2週間後に判定日を迎えます。

 

続きはまた今度akn