自殺は自分が決めたことなのだから、他人に責任を負わせないでほしい、という主張をする人たちは結構多いです。その先にあるものは、「だから自殺した人に心を寄せすぎず、生きている人の方を大切にしろ」なのですが。

 

亡くなった人は好きで死んだのではない。

生きたかったのに死を選ぶしかなかった。

それは本来責任を負うべき人たちが見て見ぬふりをして、全部をその人に負わせたから。

 

最近徒労感と絶望感が大きいです。

 

「加害ではない」←加害行為を認めたけれど劇団が言葉の使用を拒んでいるだけ

「劇団が管理責任を認めただけ」←14項目の全部認めました。その中には上級生たちの行為もあります。

「和解合意した」←こんな言葉はない

「裁判したら劇団が勝った」←だったら劇団側弁護士が訴訟に持ち込みます。劇団側にも弁護士はいたのです。なぜか顏を出さなかったけれど。なぜなんでしょう。今考えるととっても不思議。

「宙組は心配しなくてもチケット難」←救済で大変です。

 

・宙組解散主張の人たち

・パワハラ行為者特定された10人の劇団内での対応を求めている人たち

・文句言わずに黙って応援してという人たち

 

・観たくない人たち

・観るのが怖い人たち

・どんな舞台になるのか見届ける予定の人たち

・とにかく楽しみにして観る予定の人たち

 

とにかく様々な思いが交錯しています。

 

最近の絶望感の理由は、劇団はどうやら・とにかく楽しみにして観る人たち・文句言わずに黙って応援してという人たちの側なのだろうと思えることです。あれだけのポストの数々は劇団も阪急阪神HDは読んでいるはず。黙認しているということはそういうことですよね。

 

お茶会・お茶飲み会・懇親会を認可しているところや、公式HPに亡くなった劇団員の痕跡を一切残していないやり方や、普通にチケットを売るところを見ると、本当に黙ってほしいのだろうなあと感じるのです。改革進捗状況を見ても、人の命を大切にするという根本的な気持ちは全く見えません。

 

ポスターが未だに発表されないのは、ファンや世間の様子を見ているのだろうと思っています。要望があれば、「要望にお応えして」と出すのではないか、と。実際大きなポスターが出たら、かなりショックだろうなあと…言葉でなく目からくるものは大きいので、出なくてよかったと思っているのですが。

 

劇団+「加害はなかった」主張の人たち となったらそれはもう絶望しかないわけで、割り切って「違う」ことを言い続けるか、もう全部ひくか考えないといけません。

 

今やなんの謝罪の手紙だったのか不明になっています。正直なところ、ご遺族弁護士が会見で言われていた「それは新たな紛争となるので」にすでになっていると考えます。

 

こんなのおかしい。

 

私には権利がないので、権利がある方たちに再度検討してほしい。今はそれが願いです。