きのうの聞き書きは加筆せずにそのまま残しておきます。

 

会見があり、劇団の公式にお知らせも出て、一旦落ち着くかと思っていたのですが、ポストは大荒れです。

・パワハラ行為者たちがそのままなのは許せない

・謝罪文手渡しだけで済まされてはいけない

という「まだ甘い」という意見や

・パワハラはなかったけれど認めさせられた

・謝罪文ではなくお悔みの手紙だ

という「パワハラは本当はなかったのに」という意見など

それから

・これでは再開されても見に行かない

・再開されるだろうからよかった

 

・合意には思えない会見だった

・一応評価できる会見

などなど、とにかく正反対のものがそれぞれ関係しあいながら流れている状態。

 

わたしも複雑な気持ちでどう書いていいかよくわかりません。1つ思うのは、加害したとされる人が、本当にそれを理解し認めて悔いなくても、裁定はくだされるということ。ほかの事件だって(たとえは悪いですが)犯人が心から改心するのを期待しても、それは無理なことが多い。今回はそういう伝統で周囲も認識がなく、よかれと思ってやってきた行為で、しかもまだ本人たちのほとんどは宝塚歌劇団に所属していて、外の世界に触れていません。だから本当に何がいけなかったのかわかるまでには時間がかかると思います。劇団スタッフも上層部も同じです。たぶん多くのスタッフが??になっていると思います。

 

そしてこういうことは自然と決着がつくことが多いです。

だって彼女たちは事務の仕事に戻るわけではなく、観客の前に立つ仕事。

 

まず自分の気持ちとして観客の前に立てるのか。

そして立って舞台の幕が開いたとき、観客はどう迎えるのか。宙組の舞台を観客は温かく迎えてくれるかもしれない。世間の人がどんなにバッシングしてもそこには別の世界があるかもしれない。

 

でもないかもしれない。

 

全部本人たちが受け止めていくしかなく、そしてどういうことになるのか、前例もなく わたしもどうなるのか想像がつきません。

 

「べき論」で語ってしまうと、それぞれの「べき」があってどれも正解でどれも不正解。だからこういうときは、「やはりそうなるよね」になるまで待つしかないのかなと思っています。難しいですね。

 

あまり喧々諤々のポストが得意でないので(頭の中をポストがしゃべり言葉になって音声で流れるんです)半分目をつぶりながらそっと見ているきのう今日です。