2月27日の遺族側代理人の会見を受け、文化部・田中佐和と藤井沙織、経済部・黒川信雄の各記者で、宝塚歌劇団の劇団員が急死した問題を整理した記事だそうです。

 

記事引用

「歌劇団は失われた命の重さにきちんと向き合わず、『タカラヅカの論理』を優先した。結果的に大きなものを失っている」。関西大の亀井克之教授(リスクマネジメント論)はそう指摘する。

 

 

「このままではいけない」とどの識者も言っていますね。

 

今回の宝塚歌劇団の問題について、魔女狩りと言っているポストを見かけたので、セーラム魔女裁判について調べています。「アイ・ワズ・ゼア」でも放送がありました。新しくきた牧師が恐怖をあおる説教をしていたこと(悪魔への恐怖心が植え付けられた)、ピューリタンに対しての確執、占いの流行などが背景にあり、結果魔女と自白したものだけが助かって、あとは絞首刑という実話です。

 

「やってないのにやったといっている=魔女狩り」 

たぶんポストではそういうふうに使っているのでしょう。

 

身に覚えがないのに週刊誌で書かれたり、テレビで放送されたらどんなだろう・・・たとえば何かしらちょっとあったとしてもどんどん書かれて放送されたらどんなだろう。

 

でも思い出してみると、上の記事もこれまでのほかの記事も個人を追及しているものはありませんでした。名前も出ていません。どの記事も宝塚歌劇団の対応を問題にしています。もし魔女狩りで中の個人が魔女にされている、そういう風に本人たちが感じているのであれば、それは劇団がやるべきことをやっていないのだと思います。今回はジェンヌさんたちのプライベートが問題になっているのではありません。劇団内の仕事が問題になっているのです。だから雇用主の劇団に責任があります。

 

個人名を出している週刊誌は、劇団が対応すべきです。

 

書いている媒体の方を非難しているポストも多いのですが、何かあったら書きますよ。あるから書かれるんです。宝塚歌劇団だけが書かれないわけがないじゃないですか。まず書かれないような組織にする方が先でしょう。隣の個人宅のあれこれじゃないんです。組織として経済行為を行っている1団体の話です。社会的責任があるから「書かれる対象」なのだと思います。

 

裏に大きな組織があって韓国がどうのというおかしなものも読みました。韓国のミュージカルがどれだけ凄いレベルなのかご存じないのでしょうね。宝塚歌劇団を乗っ取る意味も意義もありません(だってレベルはダントツあちらが上)。

 

無実の罪でバッシングされているのだったら、劇団はなんとかしてください。そうでなくても労働の過程で個人が世間にさらされているのは問題があります。遺族側弁護士の会見でも名前は出ていません。最大限配慮されていると思います。こういう状態のうちに対処していかないと、今度は本当に公になります。裁判で白黒と言っているポストも多いですが、訴えられるのが劇団だけとは限りません。(わたしだったら当然個人も訴えます。)

 

現段階では

責任は制作の劇団にあります。

そして主催の阪急電鉄にあります。