花組の舞台について、ある作家が批評したことで激しく反応したポストを読みました。

 

わたしもそのポストを読みましたが 批評であって非難ではなかったです。舞台を演じる人、観客に対してのものではなく、演出家・脚本家としての認識を問うものでした。

 

作品というものは世に出たら一人歩きしていきます。いろいろな人が見るのですから 感激する箇所も深さもみんな違います。本来作品は出たら批評されることがセットになっているものです。議論文化のない日本では 素晴らしかった以外の批評イコール非難イコール全否定 と捉えがちですが、それは違います。

 

自分の子たちが一生懸命やっていることが素晴らしい、結果を求めるのでなくその経過を認めてみんなで褒めよう。学内発表や地域の出し物だったら 批評は自重した方がよいと思います。が、しかし仮にもお金を取りプロと称する演出兼脚本家が書き 長く公演するのですから 批評は当たり前で そしてどんな批評にも耐えうる それが成熟した舞台文化だと思っています。

 

ナチスを扱ったから ではなく この10年の間に歴史的評価に変化があったこと そしていま同じことが現実の世界で起こっている状況であること それに向き合ってかくべき題材でしたよ と言っているのです。こうすればかっこいいよね が透けてみえてる その意識で扱っていい題材でないでしょう?(国際的にも) という指摘です。

 

フリードリッヒアドラーは実在する人物です。有名な政治家なんですが、第二次世界大戦で軍人でしたか。初めて知りました。

 

マスコミ弾圧と宝塚歌劇団という構図であの舞台をとらえるのは自由です。捉え方は自由なものなので。わたしは違う意見です。当時何が起こっていたのか、今何が起こっているのか アンテナが立っていたら とても対比させられません。これは立場の違いの表明であって 非難でも存在否定でもないことも付け加えておきます。