思えば2022年12月から宝塚歌劇団のいろいろが明るみに出たのでした。
演出助手になったばかりのAさんの訴え
劇団内のパワハラ
演出家原田氏の訴え
劇団員の自殺
遺族の訴え
劇団スタッフ労働問題
労基立ち入り
音楽学校の事件
非公式ファンクラブの問題
演出家の不祥事
演出家たちの性暴力
これらが意味するものは何でしょう。
宝塚歌劇団に一貫していることは「人は取るに足らない存在」ということなのだと最近気づきました。誰も大切にされていない。誰も大切にしていない。
人権
人権というワードは日本では鬼門のようなのですが、あえて書きます。このワードを出すとその時点で読むのを止める人が多い。なぜか嫌われているこのワード。ここで全部説明するのは字数が足りないので 主要なところだけ挙げておきます。
人権は親切や思いやりで実現するものではない。
人権は道徳教育とは無関係。
人権は生まれながらに誰もが持っているもの。
何が人権なのかわかりにくいので、人権実現のための政府の義務とされている(国連人権高等弁務官事務所の説明)3点で説明します。
・人がすることを尊重し不当に制限しないこと(尊重義務)
・人を虐待から守ること(保護義務)
・人が能力を発揮できる条件を整えること(充足義務)
引用「武器としての国際人権」藤田早苗著
詳しくは本を読んでください。最初の20ページで私たちの何がだめなのか目からうろこです。
宝塚歌劇団の話に戻ります。
芸事であろうが舞台人であろうが 人権は侵されません。
たとえ本人がそれを望んでも です。
これまで明るみに出た宝塚歌劇団のいろいろのどれをとっても、人が尊重も保護もされずに充足の環境もないことがわかります。これらが侵害されていたら、人は権利を主張して闘ってよいのです。哀しいことに日本ではそのような教育は行われていないので、自己責任と言われ、リークそのものが非難されますが、それはとてもとても大きな過ちです。人権を侵され搾取されて出来上がったものを享受するのも、現代ではNO です。その行為自体が人権を侵害しているからです。
宝塚歌劇団のあり方がどれだけ愚かなものか、人権実現の条件3つから照らし合わせてみるとよいでしょう。演出家たちの性暴力をスルーすることがどういう意味を持つか。氷山の一角さえも無視するとは・・・。いわゆる人権侵害の勝ち残りで構成された劇団スタッフの制作する舞台に何があるのでしょうか。