投稿まで間があいてしまってすみません。
風邪と喘息が重なって軽く呼吸困難に陥ってました、きびもちです。久々に8度以上の熱が出ました。
さて、前回申し上げたとおり、発症のきっかけからいこうと思います。
適応障害の発症のきっかけとなるストレス因子としては、
仕事・学校・家庭・病気・恋愛・人間関係…
などなど色々あげられますが(ぶっちゃけストレスを感じうるもの全てですね)、
私の場合は主に以下の3つでした。
(家族の)病気
学校での人間関係
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一応上記以外でも、学友会活動が多忙だったというのもあるのですが、仕事自体は好きだったのでそれはストレス因子というよりは休息がとれなかった理由、ですかね。
今回は因子のうちの一つ、家族の病気についてお話しようと思います。
本題の前に、
私の家族は私を除いて全員障害者です。
特に母は電動車椅子、兄に至っては寝たきりでした。
父はなんとか二本足で歩ける程度の障害でしたが、私が高校の時にリストラにあい、その後就職の機会を掴むものの交通事故に遭ってパーになるなど、娘の私から見ても不運を背中に背負って歩いているような人でした。(父の不運エピソードは数かぎりないのですが、本題からそれるので割愛します)
2年前の秋頃、当時大学生だった私に母から電話がありました。
父が末期癌と言われた、と。
すぐに実家へ戻り、医師の説明を受けました。
診断は上顎歯肉癌。
口腔癌の中では比較的予後は良いそうですが、それでも父のステージでは5年生存率は約50%でした。
今になって思えば50%という値は癌が治らず5年以内に死ぬ確率と癌が完治して5年以上生きられる確率が同程度ということです。決して悲観する値ではないのでしょう。
しかし、不運の代名詞でもある父にとっての50%は本人にとっても家族にとっても絶望的な値でした。(当時はそのようにしか解釈出来ませんでした)
父は呆然として、母は泣き崩れていました。
この時の自分の失敗は、
・父は5年以内に死んでしまうとなぜか思いこんでしまった
・家族で丈夫なのは自分だけなのだから私が支えないとと思いこんでしまった
・自分が泣いたら父が泣けなくなるから泣いてはいけないと思いこんでしまった
・母が弱音を吐けるように自分は弱音を吐いてはいけないと思いこんでしまった
元々親に相談や悩みを打ち明けることが不慣れだった性格も災いしたのだと思います。
大学に戻り特定の友人には話したものの、結局家族には最後まで自分の不安や恐怖を打ち明けることはありませんでした。
これは私個人の考えなのですが、
人は何かあったとき、起こったことにたいしてつい平静を装うとします。
取り乱すとカッコ悪いから、周りを不安にさせちゃうから、明るい自分・強い自分でありたいから…理由は色々あると思いますが。
もちろんそれでちゃんと自分を保てる人もいるとは思いますが、人間である以上どこかで綻びは出てくるもので…。
悲しい時は悲しめばいいと思います。
泣きたい時は泣けばいいと思います。
不安な時はそれを伝えればいいと思います。
理不尽なことには怒っていいと思います。なんでだよ!って叫んでいいと思います。
あとで崩れていくよりは、そのほうが自分にとっても周りにとってもいいと思います。
まぁ、それが簡単に出来たら苦労はしないんですが。笑
そうしてもいいと思うだけで、案外楽になったりするものです。
『◯◯でないといけない』から『△△してもいい』と考える癖を
少しずつ身につけていこうと考える今日この頃です。
次回は引き続きストレス因子『学校での人間関係について話していこうと思います。
