古事記編纂者

太安万侶没後1300年を記念の

研究講座に参加しました


今回は

「墓からの出土品の再検討」

「墓誌から見た古代の死生観」

の2講座


安万侶の墓は

1979年に発見されました


若い世代には

ずいぶん昔のことと

感じるでしょうが


私にとっては

大学生の時なので

少し前という感覚です


発見4日後 発掘に着手

2年後には報告書が刊行されています


2012年に最新技術を使って

再分析すると


新たな?が生まれました


出土した木炭が

亡くなった723年から

40年以上の構築材であることが

分かったそうです

ウィグルマッチング法という

検査方法らしい・・・知らんけど


また

墓誌と木櫃に

微小の水銀朱が確認されています

1mmにも満たない小さなものです


極々わずかの木炭と

目に見えないくらいの

小さな水銀朱が


葬儀や墓の造営について

大きく揺るがします


安万侶の墓が

改修か改葬された可能性が

あると言うことです


木櫃と墓誌が同年であるので

同じ場所で

墓を改修したとは思えず


初葬墓はどこなのか?

改装の目的は何か?


どんどん深みに入っていく感じです


辻褄の合う可能性を考えれば


安万侶の出身地である

磯城郡田原本町多あたりで初葬され

水銀朱が塗られた骨蔵器に入れられた


安万侶の子孫が

簡素な埋葬だった初葬をやり直し

上級官人に相応しい墓の増築と葬儀を

行ったのではないか


現時点では

証明するものが何もなく


想像を膨らませるしかないようです


・・・楽しい