雨と春一番が吹き荒れる
嵐のような日になるとは
ヒーロー登場にふさわしいかも
待ちに待った講演会
「豪族と渡来人」
13時30分からなのに
12時過ぎに行くと
すでに2/3ほどが埋まっています
何という人気
開演時間には
会場から人があふれ
200人ほど集まっています
講演は2題
まずは
橿考研学芸員の平井さんの
「古墳から見た漢人系渡来人と大豪族」
6世紀になると
文献と考古学が
接点となる時期らしいです
中国大陸からの渡来人は2系統
東漢氏(やまとのあやうじ)=大和
西漢氏(かわちのあやうじ)=河内
古墳に残された渡来人の痕跡は
①ドーム状の天井が高い石室
②釘付式木棺
③ミニチュア炊飯具
④釵子 釧 指輪などの装身具
が特徴のようです
とくに
坂ノ山古墳から出土した釵子は
最古級
渡来人の特徴的な出土品が
数多く出ています
そして
高取町教育委員会の
木場さん登場です
司会の方から
大学卒業後 発掘一筋で
この3月に定年退職されるはむけに
講演をお願いしたことを
紹介されました
この世界では一目おかれていると
感じました
演題は
「高取渡来系氏族の古墳」
高取町には
800基の古墳があるそうです
ほとんどが
丘陵にある小さい群集墳
国道169号線と南大阪線に挟まれた
坂ノ上古墳群(観覚寺)には
20基の円墳があります
5世紀後半の古い渡来系の墳墓と
考えられています
名前の由来は
坂上田村麻呂の屋敷が
あったとされるからだそうです
坂ノ上4号墳では
2人分の合葬跡が見られ
鉄製の釘が出土しています
他に類を見ない
黄色や黄緑の装飾用の玉が出土したと
説明がありました
渡来系の墳墓を匂わせる
銀製の釵子や耳環なども
出土しています
展示品の写真は
2/11のブログで紹介しています
土佐街道沿いの稲村山古墳と
阿部山カイワラ1号墳からも
釵子や耳環に加えて
ミニチュア炊飯具が出土
これは
死者にもあの世で
食事ができるようにという
中華思想のあらわれだと
考えられています
周辺には
渡来系の特徴を持つ大壁建物も
見つかっています
全国で150棟ほど
見つかっている大壁建物は
高取町内で70棟あったそうです
飛鳥地域が
日本の中心だったのでしょう
段々と力をつけて
与楽の周辺に土地を与えられたと
考えられています
与楽古墳群では
6世紀中期から7世紀初頭の
古墳が100基あり
古墳の変遷が見られます
天井が高くドーム状という特徴は
共通しますが
円墳から方墳へ
積まれている石が
段々大きくなり
石室の形状が
片袖から両袖に変わっています
床の部分と側壁の石積みに
すすの跡が残り
火葬されたのではと
考えられています
日本で初めて火葬されたのは
702年という記録が
残っているそうですが
それより約200年ほど
さかのぼることに
この焼け跡が
いつの時代なのか
今後の科学的調査によりますが
考古学は自分が掘ったものが事実である
と大学時代に教えられたと
木場さんは締めくくられました
いい言葉です