歌人つづきになりすみません
幕末 越前福井藩の
橘曙覧(たちばなあけみ)の独楽吟は
52首の連作短歌が詠われています
52首全部
「たのしみは~」で始まり
「~とき」で終わります
「たのしみは 朝おきいでて 昨日まで
無かりし花の 咲ける見る時」
この歌は 平成6年
時の天皇皇后両陛下がアメリカご訪問のおり
クリントン大統領が歓迎式典のスピーチで
引用して有名になったそうです
日本人でも知らない歌人の歌を
話題にするなんて
なんと粋な
橘曙覧は
「たのしみは 銭なくなりて わびをるに
人の来たりて 銭くれし時」
と詠んでいるように
大変貧乏ながらも 日常の些細な出来事に
楽しみを求め その小さな喜びを
感動的に読み上げています
いくつか紹介すると
「たのしみは まれに魚烹て 児等皆が
うましうましと いひて食ふ時」
「たのしみは 三人の児ども すくすくと
大きくなれる 姿みる時」
子どもたちの日々の姿を
傍らで ニコニコしながら 伺っている様子が
ありありと見えてきます
特に “私あるある”なのは
「たのしみは そぞろ読みゆく 書の中に
我とひとしき 人をみし時」
手紙や本の中で
自分とおんなじ気持ちやん
とか
同じ思いを言い当ててるなぁ
という文を見つけると
嬉しくなります
「たのしみは 好き筆をえて まず水に
ひたしねぶりて 試みる時」
筆をしゃぶってまで
舌でも感じようとするくらい
よほど嬉しかったんでしょうね
曙覧らしい こだわりの強さを
感じます
私も 欲しいものが手に入ると
身に付けてみたり
写真を撮ったり
いつまでも眺めていたりします
福井藩のお殿様 松平春嶽も
影響を受け 詠んでいます
「たのしみは 思い煩う くるしみの
中にひとすじ 道得たる時」
「たのしみは わからぬ人に 物言いて
わからぬ人の よくわかる時」
よく人の意見を聞き 両者が納得する策を
苦しみながら追い求めた春嶽候らしい歌です
そんな崇高な歌は詠めませんが
私なら
「たのしみは 誰近寄らず 時でも君は
ワンと尾を振り 走り来る時」
でしょうか
皆さんの「たのしみは~」は?
そんな歌を積み重ねていくと
幸せな日々が見直せるのでは