※悲惨な表現が苦手な人は読まないで下さい。

 

沖縄慰霊の日

75年前 1945年

 

沖縄は

日本国内で唯一

一般住民が地上戦に巻き込まれました

 

上陸してきたアメリカ軍との戦闘

県下21の学校の生徒が動員され

負傷した日本兵の看護要員となった

15歳~19歳の女子学生

腕や足の切断を手伝い

最後も看取った

 

軍事物資の運搬や通信任務にあたった

14歳~19歳の男子学生

体の弱い子もいただろう

中には爆弾を背負って戦車へ体当たりを

命じられた人もいたという

 

勉強や運動をしたかっただろう

友だちとも語り合いたかっただろう

 

その短い生涯を散らしました

 

暗いガマの中で

アメリカ軍に見つからないために

声を潜めて隠れ

赤ちゃんの泣き声で 見つかるからと

無理矢理 ガマの外へ出されたり

母親の胸のなかで口を塞がれ

事切れることも

 

戦火の激しかった摩文仁の丘では

たくさんの沖縄県民が命をおとしました

 

アメリカ軍からの攻撃

日本人同士の

人とは思えない所業や自決

 

当時の中高校生は

どんな思いでいたのだろう

自らの子どもの口を塞ぐ母親の心情など

推し量ることもできない

 

ヒロシマ ナガサキは

一瞬にして 全てを奪ってしまった

 

沖縄戦は

戦争の悲惨さだけでなく

同じ側の

人の心をも変えてしまうことに

戦争の全てが集約されているような

気がします

 

今年の全戦没者追悼式では

首里高校3年の高良朱香音さんが

「あなたがあの時」と題した詩を

披露されました

 

老いた戦争体験者の方は

生き延びたことが申し訳ないという思いを

ずっと抱えて生きてこられました

 

戦争を生き延びた人たち 「あなた」への

感謝の気持ちが込められているように

感じます

 

私たちは

まだまだ知らないことが

たくさんあります