一人暴走モード発動
とある記事を読み返してみて感じた事を書いてみる。
その記事とは直接関係はないのだが、記者の本意と周囲の動向を観察していて感じた事を少し。
まぁ、色々な言葉が飛び交っているのだが、
腹の探り合いみたいな事なら、しないほうがまし。
これは、 「 赤ん坊の前で、タバコを吸っている 」 のと同じだということを自覚せよ。
この場合、コメントの記者は、大小かかわらず悪意を孕んでおり、殆どの場合が認知があれば自己満足し飽きる。
つまりは、どんな答えであれレスがつくのを楽しみにし、それを待ち遠しく何度もチェックする。
私が、オナニストと感じた点はそこである。
私の考えるエゴイストという表現は、自分の思った通りにならない事を正当化する為の手法であり、正論を多数決でうやむやにしようとしている、多数側の魔女狩り的な思考にかわらないと考える。
考えて欲しい。
実際に、無償の愛などというものは、家族、もといえば、親と子の間にしか存在しえない。
種の保存という、遺伝子レベルでの本能であり、次には自己生存の本能が働く。
「自分が死ぬか、子供が死ぬか」 と 「自分が死ぬか、ニュースに出ていた殺人鬼が死ぬか」
認識して欲しい。
子供 = 殺人鬼 という式は、かならず存在する。
他人の自己防衛の為の手法が、自分の許容を超えた為、「お前はエゴイストだ!」という結論で、自己防衛をしている事を。
世界が狭いのよ。 知識が狭すぎるのよ。 経験が薄いのよ。 頭でっかちで、何の役にも立たない人種のへりくつなのよ。 ニートって言葉の響きがカッコイイと思っている若者といっしょなのよ。
甘えるなとは言わない。 甘えるのは必要だ。
ただ、「甘えてていると言う事」 を忘れるな。
「 オレの兄ぃちゃんは、ヤクザと知り合いなんだぜ。 」 といえば 「 生き埋めにされない 」 自信はいったいどこからくるんだ?
少なくとも、この記事に反論のある方は、「調子に乗ったムカつく子供」が大嫌いなはずである。
あぁ、また書いてしまったよ・・・
濃いさん あたりがニヤリとしている姿を想像してしまう。
本人は、もう人の意見では左右されないという自信を持ち、それを確信と認識する為に記事にする。
同意する答えばかりだと、無いものねだりではないが、不安になる。
背中を少し押して欲しいだけで、祭りを希望しているわけではない。
本人にとっては、懺悔であり、許しを探しているだけなのかもしれないのだから。