ここ数日シャワーどころか下着も替えてなかったのに、いきなり広い風呂に温かい食事とフカフカのベッドだぜ?十時まで爆睡して枕カバーがベトベトになったって仕方ないだろ。

 剥がしたシーツの中に枕カバーを押し込んで、昨日渡されたPHSの呼び出し番号をコールしたら、背中の曲がったおばあちゃんが朝食持ってニコニコしながら入ってきた。
 朝飯はご飯・焼き鮭・味噌汁・漬物。純和食と思いきやスパニッシュオムレツが添えてある。一口サイズのオムレツにケチャップつけて口に放り込むと、粗く刻んだジャガイモの程よい食感と出汁の香りで思わず顔がニヤけた。俺って幸せ。

 腹が落ち着いてからもう一度ベッドに横になった。真っ白で綺麗な天井をボーッと見てると、あの衝撃波を食らったのが数週間前ぐらい昔みたいな、遠い旅行から帰ってきた時のフワフワした感じがする。あの白い衝撃波も、砕けて崩れた街も、確かに見たし、一昨日俺は確かに死にかけたはずなのに、リアルなゲームとか映画みたような感じで現実感がない。別世界に来ちまった。

 しばらくボーッとしてから部屋を出た。向かいにテンが泊まってたはずだけど予想通りカラだ。心当たりの場所目指して廊下を進む。
 廊下の壁も個室と同じ清潔感のある白で統一されてて、上品な間接照明とピカピカの廊下がホテルみたいだ。暫く廊下を歩いてると、豪華なエントランスの脇にあるドアを通って屋外駐車場に出た。

 テンは思った通り、学校の校庭ぐらいの大きさの駐車場の端、室内駐車場前の洗車スペースにいた。どストライクの女子とデートしてるみたいな最高にだらしない顔しながら目の前の車を洗ってる。

「ういーっす、お前マジで洗車してんのな」
「あぁ?セイか。遅かったな。バッチい手で触んなよ」
「わざわざ触んねぇよ、昨日乗ったばっかだし」
「乗せていただいた、だろ。口のきき方に気をつけろ。レディなんだから」
「わざわざ朝っぱらから洗車なんかやんなくていいだろ、昼やればすぐ乾くじゃん」
「早く乾きすぎると水垢グセがつくんだよ、ド素人はすっこんでろ」

 昨日の誘拐未遂事件の直後、俺ら三人は草薙さんに連れられて車まで歩いた。テンはガタイに似合わず不安そうだったけど、草薙さんの車を見た途端に松葉杖放り出して野生の雄たけびをあげだした。

「EB110……じゃない!まさか、EB112?販売されなかったはずじゃ!」
「あ、わかっちゃう人?スポーツカー好きは希少だから嬉しいぞ!」
「信じらんねぇ、幻のヴェイロンセダン。写真しか見たことないのに!」
「あの、すみません草薙さん。俺達このあと……」
「黙れウチダ!気安く話かけるんじゃねぇ。草薙さん、コイツジャガーとかレクサス潰してもスヤスヤ寝れるような悪魔っスからね。ホント気を付けてくださいね」
「まあまあ。みんな突然だし色々聞きたいことあるよね。私たち火環の結っていう組織なの。宗教団体が有名だけど、ガメラの研究機関でもあるんだ。私たちは貴女を探してたの、松尾浅緋さん」
「……結局あんたも誘拐目的かよ?」
「彼らは他の組織、といっても貴女には関係ないよね。でも、貴女たちは自分で気付かないうちに追われる存在になってるのよ。たくさんの人たちが貴女を追ってて、政治的に利用しようとしてる。もし私たちを信じてくれるなら、皆の安全は保障するよ。それにきっと、貴女も自分とガメラのことについて、もっと知りたいんじゃないかな」
「……」
「きっと力になれるよ、私も同じ経験があるから。ガメラは敵でも怪物でもない、分かり合える存在なの。それを知ってほしいだけ」

 草薙さんはこんな感じで説得して俺達を車に乗せた。聞きたいことが沢山あったのに、移動中は草薙さんとテンが車の話で盛り上がり過ぎて何も聞けずに本部に到着、細かい話は今日するらしい。

 火環の結(カカンノユイ)は元々、栃木が地元のガメラを祀る神道系団体だ。それがガメラの研究施設と手を組んで、資金・人員・資料を提供して強大になり、今では国内最大の宗教団体になる――と、ここまではネットで調べりゃすぐわかる。
 問題は、ガメラを祀る団体なんて星の数ほどあるのに、火環の結だけが圧倒的な権力を握っている理由だ。この理由として俺が信じてるのが、ある女性を『巫女』として団体に引き入れたからって説だ。
 ネットの噂だとその女性は、非公式ながら自衛隊の作戦行動に協力したことがあるとか、政界に強いコネがあるとか、ガメラとシンクロしてできた聖痕が体中にあるとか、ギャオスを祀るHWA系の一大拠点が地下にあったワールドトレードセンタービルをガメラに潰させたとか、いろんな逸話が出てくる。
 胡散臭い話が多いけど、でももしガメラと交信できる人間が実在するなら、社会的影響力の高さを恐れられて戸籍が抹消されたり、宗教組織の最高幹部に君臨して組織の権力集中に一役買ってるってのは何となく納得がいく。
 それに、通信記録が三十分で消去されるSNSでオカルト系のオンライン友達に頼み込んで見せてもらった写真は間違いなく草薙さんの写真だった。まぁイメージしてたより大分気さくな人だったけど。

 ――ヴーン、ヴーン
 ポケットのPHSが震えてる、呼び出しだ。

 道具の片づけ手伝ってから二人で駐車場を歩き出す。平日なのにだだっ広い駐車場には黒塗りの車が整列してて、ワイドショーとか討論番組とかでよく見る議員が手下を連れて本部に駆けて行く。

「俺らが生まれる前は政教分離ってのがあったらしいぜ」
「……わりぃ、オレ部活強い学校じゃねぇと分かんねぇわ」
「学校名じゃねぇよ、昔は宗教団体が議員の選挙手伝うのが違法だったってこと」
「……どゆこと?ガメラの宗教はガメラ推しの議員推すに決まってんだろ。意味わかんねぇ」
 俺もよくわかんないわ、現代史の単位取れるかなあ。

 豪華な正門の前に出迎えの車が待ってて、松尾が先に検査を受けてる医療施設に移動した。検査室には松尾と草薙さん、大柄なスーツのおっさんと白衣のおじいちゃんが待ってた。

「おはよう二人とも、さあ掛けて。この人は古澤、ここの幹部。こっちは渡邊教授、脳神経外科医の先生。午前中は教授が浅緋さんのメディカルチェックをしたり、二人で色々お話させてもらったりしたんだけど、まず結論を言うと、状況的に浅緋さんがガメラの巫女であるのは間違いなさそうね」
 ああ悪夢だ。性格に難ありってのはガメラの選考基準に引っかかんねぇのかよ。
「それって科学的にわかるもんなんですか」
「残念だけど、今はガメラがどうやって人の心と繋がるのか全く分かってないの。でも浅緋さんの証言とデータを分秒単位で照らし合わせて、状況的にほぼ間違いないとは言えるかな」
「それって、ガメラの動きとか、松尾がモニターで見てたものとか」
「そう。三人が話してた通り、たぶんガメラと繋がるカギになったのは浅緋さんがギャオスの映像を同時に複数見たことよ。さっき浅緋さんにギャオスの動画を見てもらって、動画の数を一つずつ増やす実験をさせて貰ったの。みんなの言う通り、画面を六つにしたとき身体に異変が出たわ。詳細は分からないけど、恐らくガメラが戦おうとしてる相手の情報を送る力が浅緋さんにはある。しかも六つ以上の情報を同時に。これはわたしの時と違うわ」
「わたしの時って、やっぱり、あの噂は」

 返事をする前に、草薙さんはネックレスから金属っぽい勾玉を取り出して見せた。
 すげぇ本物だ、本物のオリハルコンの勾玉だ!マジで都市伝説通りじゃねぇか、興奮して背中がゾワゾワする!
「私の時はコレがカギだったの。勾玉に強く願いを込めるとガメラと深くつながれた。でも浅緋さんはそういったものがないし、戦いに関する複数の情報を送るって言うのも私の時と違う。でも浅緋さんがとても重要な人なのは確かだし、そうである以上いろんな人間が狙ってるはず。今、浅緋さんが外を出歩くのは非常に危険よ」
「じゃあ松尾は、ガメラがいなくなるまでここで保護されるってことですか?」

 草薙さんは古澤と目を合わせた。古澤が頷き返して扉を閉めると、草薙さんは前のめりになって切り出した。
「浅緋さんだけじゃなくて、三人にお願いがあるの。政府は明日の午後八時から男体山付近のセイリュウ七体をガメラと衝突させようとしている。三人にはそれに協力して欲しいの」

 言ってる意味が分からなくて、リアクションに少し時間が掛かった。テンと二人で顔を合わせる。
「加勢って、え、どういうことです?戦えってことですか?」
「直接現場へ行くわけじゃないの、ここからガメラに力を貸してほしい。浅緋さんの力を使って、セイリュウの居場所や戦況をガメラに伝えて欲しいの。この戦いで、日本は絶対に七体のセイリュウを倒さないといけない。それができないと最悪の事態になるの」
「いや、俺らはともかく、松尾どうなんだよ、やんのかよお前」
「当たり前だろ、要は間抜けなトカゲとコウモリ全滅させりゃいいんだろうが」
「オレ達は何すんですか?オレ頭使うのちょっと……」
「浅緋さんにはディスプレイゴーグルをつけて、ガメラと戦う目標の画像や位置や音声をガメラに伝えてもらう。二人には、身体が動かせない浅緋さんの代わりに映像を選別したり、必要な音声データを浅緋さんに伝えてほしいの。機材も、情報収集も全部こちらでやるから、二人は浅緋さんを支えてあげて」
「それは機材とか情報に慣れてるプロの方のほうが良い気が――」
「これはこの組織の中でも極秘なの。安易に人を増やせないし、突然のお願いで申し訳ないけど、この通り!」
 草薙さんは頭を下げて、ロングヘア―が目の前で揺れた。

 俺とテン?もちろん即答でOKだ。テンはどうなのか知らねぇけど、ガメラで、あの草薙浅黄で、日本を救う極秘任務だぜ?こんな面白そうなことねぇだろ!

 三人から了解も取れたし、準備が整うまで一度解散ってことになった。
 テンと松尾に続いて廊下に出そうとした時、草薙さんが俺を呼び止めた。草薙さんは渡邊とかいうおじいちゃんも小声で呼んて、急いで別の小部屋に押し込むと外を気にしながら扉を閉めた。さっきも穏やかな表情って訳じゃなかったけど、扉を閉めた後の草薙さんの顔はマジな感じで、ちょっと怖い感じだった。

「本当に実行されるのですか!状況はどう転んでもおかしくないのですよ」
「教授、もう決めたの。止めて」
「やめません!彼女は危険です、ここにいるべきではありません。彼女どころか我々も」
「お願いもう止めて。もう他の選択はないじゃないの。さあ」
 草薙さんが教授に手をかざすと、教授は元々クシャクシャな顔をさらにクシャクシャにしながら、袋に入った筒状の物を手渡した。

「内田くん、貴方はしっかりしてそうだから一つお願いがあるの。でもそのためには一つ秘密を守ってほしいんだけど、これは他の二人には話せない。何があっても守るって誓える?」
 秘密を守れなんて小学生以来言われてないけど、大人に詰め寄られるとプレッシャーがかかる。でもさっきまで国家機密がどうのとか言われてたんだしこれ以上何か増えたってどうってことない。

「実はね、浅緋さんの脳には腫瘍があるの」
 ああ、やっぱそうか。俺も片頭痛持ちだけど、あの痛がり方普通じゃねぇよ。
「側頭頭頂結合部にピンポン玉大の腫瘍があって海馬体も通常より萎縮している。かなり激しい頭痛がしているはずだ。医師の立場から言えばすぐにでも手術を提案したい」
「そう、でもね、もう止めることもできなくて」

 言い終わる前に草薙さんが俯いて、目からボロボロ涙がこぼれてきた。
「酷いよね、こんな大人。自分の都合だけで大事なこと言わないで」
 大人が純粋に泣いてるなんてテレビでしか見たことないからビックリしちまった。参ったなあ、こういう時気の利いたこと言えねぇんだよ俺。

「教授が言うには、ガメラとの交信が彼女の身体にすごく負担をかけてるみたいなの。一昨日のいわきのこともすごく責任感じてるはずなのに、それでも必死に戦おうとしてくれてるの。私はあの子の気持ちは分かってあげられるけど、二人みたいに友達にはなれないし、ずっと傍にはいてあげられない。だから」
 さっきの筒状の物を草薙さんは俺に差し出した。
「いつも彼女のそばにいてあげて、勇気をあげて。これは気休めにしかならないけど注射薬、万が一の時に使って。苦痛は緩和させられるけど、身体が少し不自由になるから、その間彼女を守ってあげて。全部終わったら、あなたたちは私たちが絶対元の生活に帰れるようにするから。だから……」

 草薙さんはその後の言葉が続かなくて、俺が注射器に伸ばした手を両手で胸元に引き寄せてきた。
 だから俺の方はもう耳まで真っ赤になっちまって
「あの、大丈夫っすよ、みんな頑張るんで、たぶん」
 なんて、最高にアホな返事するのが精いっぱいだった。