歴史のない日本人  

 

             ――敗北者たちの姿見――

              1868~1945

 

 

 

 

 

        

                 死地に立つ!


 

      突然の、並航戦の勃発であった!!

 バルチック艦隊司令長官ロジェストヴェンスキーは驚いた。

 その戦いならば一時のことである。

 生きるか死ぬかは、すれ違いが終わるまでのことであった。

 彼は、単純なすれ違い戦(反航戦)しか想定していなかったのだ。 

 総身泡立つ思いの中で、…瞬時にロジェストヴェンスキーは悟った。

 もはや、勝たない限りこの戦場から脱出することは不可能!!

 初めから敵は、全滅覚悟の総突入で襲い掛かってきているのだ。

 彼らの念頭には自己の損害や生き残りなどは全く存在していない。

 おそらく悪くても相打ちで海の藻屑とならんとしているのだろう。

 絶対に我らを生きては返さない!…

 鬼気迫る、彼らのその意思は明確であった。

 間違いない!!

 逃げ場のない金網に囲まれて、撃ちてし已まん!を呼号する日本連合海軍と

 の文字どうりのデスマッチが始まったのだ。
 さらにロジェストヴェンスキーは次の事態にも驚愕した。

 なんと敵旗艦三笠が単騎でまっしぐらに、しかも両艦隊の間に横たわる海面

 を斜めに横切って、彼の乗る旗艦クニャージ・スヴォーロフに向かって突っ

 込んでくるではないか!
 しかし彼は、続発する驚愕にさんざん翻弄されはしたが、すかさずしっかり

 と敵の弱点を見てとった。

 これは!! 

 …飛んで火にいる夏の虫ではないか!?
 集中砲撃して、旗艦三笠を撃沈すればいい。
 そうなれば敵艦隊は必ずや大混乱する。
 更には同じ航路を辿るであろう後続艦を同じく次々と撃沈すればいいのだ。

 彼は思わず声を挙げた。

 『我、勝てり!』

 そして彼はさらに叫んだ。

 『撃てェ!…全砲撃を三笠に集中せよ!』
 バルチック艦隊の砲撃が一斉に開始された。

 その攻撃は三笠に向かって集中した。

 

 

 

 

  三笠の被弾が急増した…

 だが、三笠は砲弾の降り注ぐ中、いささかもひるむことなく全速力でバルチ

 ック艦隊との間合いを詰めていった。

 三笠をはじめとする第1・2戦隊の速度は15ノット。 

 これにたいしてバルチック艦隊主力の速度は11ノットであった。

 被弾の急増は想定内であった。

 連合艦隊司令長官東郷平八郎にとっては、それはすでに覚悟の上のことであ

 った。

 連合艦隊の意図は<イ>の陣形で戦うこと。

 そのため連合艦隊は<I>の形のバルチック艦隊の頭を<ノ>の形で押さえつ

 けようとようとしていた。

 三笠の速度は敵より優っている。

 三笠の装甲は厚い。

 敵は貫徹弾しかない、――榴弾はない。

 そこで東郷はこれらを頼りに決死の作戦に打って出たのであった。

 敢えて東郷は敵の攻撃を三笠に引き付ける行動に出た。 

 万が一の場合はすでに後続に託してある。

 せめての願いは、大回頭を後続の艦が完了するまでは何としても三笠を持ち

 こたえさせること。

 『頼むぞ―、ミカサー!』

 東郷は必死の思いで祈り続けた.

 危険な艦橋に東郷は立ち続けた…

 




  『もっと撃て!

   もっとだァ―!

 …どうしたんだ、何をしている?』

 ロジェストヴェンスキーは苛立った。
 明らかに三笠に向けての攻撃が減っていた。

 三笠の被弾は峠を越え、三笠は危機を脱しつつあった。

 だが、三笠は未だ発砲しない。

 なぜか発砲せず、三笠の砲塔はこちらを睨んだままであった。

 その砲塔は次第に不気味さを増していた。
 『司令官、後部の砲塔が使えません…

 後続の艦も、三笠が見えないようです』
 『何!?… 』

  ロジェストヴェンスキーは 茫然として三笠を見やった。

 三笠はいつの間にかクニャージ・スヴォーロフ左前方約30度に位置していた。

 そしてさらに先行していく。

 

 

 

 

  …距離6,400m。

 14時10分。
 押さえに抑えていた三笠の闘志がついに炸裂した。

 三笠は、クニャージ・スヴォーロフに向けて砲撃の火ぶたを切った。
 敷島も砲撃を開始。
 そして回頭を完了した艦が次々と発砲し始めた…

 14時15分。

 やや位置をずらした大回頭が終わり、第2戦隊も第1戦隊のすぐ後ろから全力

 砲撃を開始した。

 両者の砲撃戦は以後30分間にわたる猛烈なものとなった。

 連合艦隊の榴弾は、命中し炸裂するや否や甲板上のあらゆる構造物を薙ぎ払

 い、あっという間に船上を猛火で押し包んだ。

 また貫徹弾は敵艦の舷側を次々と撃ち抜いた。

 日本側が使用する榴弾の威力は敵の攻撃力を甚だしく奪ったが、中にはその

 火災で火薬庫が爆発し沈没するものも出た。

 また貫徹弾の被害が致命傷となって沈没を余儀なくされた艦もあった。 

 連合艦隊の砲撃は命中率で敵を圧倒していた。

 しかもその砲撃速度は速くそして正確であった。

 バルチック艦隊の砲撃は、全体の力で数はこなしたのだが、速度は概して遅

 く、一発と一発の間隔が随分間延びしていた。

 そしてあまり命中しないのだった。

 砲弾は貫徹弾のみであったからこれといった成果も出なかった。

 こうしてバルチック艦隊主力は多数の被弾により急速にその戦闘力を失って

 いった。

 

 

 


  バルチック艦隊側は非常に不利な体勢になっていた…

 最初の計画通り三笠攻撃を続行するにしても、すでにはるか前方にある三笠

 に対して後部砲塔の砲を向けることができなかった。

 また第1戦艦隊隊列前方の艦は被弾で砲撃速度が低下していた。

 後方の艦にしても距離が遠すぎるのだった。

 そのためいまや三笠に対する全力砲撃は不可能となっていた。

 ロジェストヴェンスキーは無念さに思わず唇を噛み締めた。

 バルチック艦隊は明らかに守勢に回り始めていた。

 撃破どころではなかった。

 いまや戦場をどうやって脱出していくかが課題となりつつあった。

 何とか敵の攻撃をかわしながら、それに耐えながら少しでも味方を目的地へ

 送り届けなければならないのだった。 

 14時11分。

 クニャージ・スヴォーロフは連合艦隊に圧迫されてついに右に変針した。

 それに続くバルチック艦隊も全艦挙げての必死の全面並航砲戦に入った。

 この頃からバルチック艦隊には被害が目立ち始めた。

 バルチック艦隊側ではまず第2戦艦隊旗艦オスリャービャが、日本側の各艦か

 ら集中砲火を浴びて早々に攻撃力を失った。

 オスリャービャは先の不手際から連合艦隊側に最も近く、一番突出して目立

 つ不利な位置にあった。

 また第1戦艦隊殿艦アリョールの前に位置しているため、その砲撃を妨げると

 いう障害になっていた。

 それを改めようとして速度を落とし右に蛇行し、殿艦アリョールの後ろへ付

 こうとする最中であった。

 14時20分。

 第1戦隊はバルチック艦隊との間合いを距離5000mへ詰め、砲撃戦は最高潮

 となった。

 14時27分。

 第2戦隊所属の装甲巡洋艦「浅間」が被弾した。

 舵機を損傷し戦列から離れざるをえなかった。

 ただ、目立った被害と言えばこれだけであった。

 連合艦隊各艦の戦闘力は維持された。

 

 

 

 

  14時35分。

 連合艦隊第1戦隊は東へ転針した。
 14時43分。

 続いて東南東へ転針。

 …14時50分。

 バルチック艦隊では第2戦艦隊の先頭艦オスリャービャが火災を起こして右へ

 回頭し戦列から離脱した。
 同艦は舷側被弾口からの浸水を押さえきれず致命的になりつつあった。

 14時50分ごろ。

 バルチック艦隊旗艦クニャージ・スヴォーロフが甲板上や艦内の各所で火災

 を起こしながら突然右へ大きく回頭して戦列から離脱した。

 艦はそのまま回頭を続けた。

 舵の故障であった。

 このため後続の艦は列を乱した。

 そこですかさず先頭に立ったのは2番艦戦艦インペラートル・アレクサンドル

 3世であった。

 すぐに状況を見抜いた艦長ブフウオトフ大佐が、事前の取り決めに従って自

 身が指揮をとることにしたのだった。

 彼は東南東の針路を保持した。

 以前連合艦隊と並行であった…
 しかしインペラートル・アレクサンドル3世も集中砲火を受けてほどなく列外

 に出た。

 14時55分。

 次いで3番艦戦艦ボロジノがその後を引き継ぎ先頭に立った。
 艦長セレブレーンニコフ大佐は左へ大きく回頭し北へ変針した。
 第1戦隊の後を進む第2戦隊の右舷へ向けて突進する形を取った。

 第2戦隊の攻撃に耐えつつも第2戦隊が行き過ぎるのを待ったのである。

 そのすぐ後方を北方へすり抜けようとした。

 …15時7分あるいは同10分。

 オスリャービャが沈没した。

 

 

 

 

  14時58分。

 東郷は全艦左へ90度一斉に回頭(左八点一斉回頭)を命じた。
 第1戦隊は各艦が変針を行った。

 そして全各艦同方向の横一列が一斉に北東に進む単横陣となった。

 だが、…第2戦隊は違った。

 『艦長、第一戦隊は東へ転進しています!』

 旗旒信号を取り消した副官が叫んだ。

 『かまわん、真っすぐだ!…真っすぐ!

  直進せよ!』

 司令官上村は第2戦隊の右舷へ突進して来る敵戦艦を見て、咄嗟に<独断専行>

 した。

 第2戦隊は単横陣となった第1戦隊各艦の後尾を通過し東南東へ直進した。
 そして3,000mの距離にあるバルチック艦隊に攻撃を加えた。

 第2戦隊は速度を17ノットに速めそのまま直進を続けた。

 そして有利な体勢(T字形)でバルチック艦隊を砲撃し続けた。

 彼も一旦は第1戦隊に倣おうとしたのだが、それでは右へ針路を変えた敵戦艦

 は東方へすり抜けてしまう。

 その場合を、そしてその後のことを上村は考えたのだった。

 あくまで網の中に置くべき…

 そこで彼はこれを東側から阻止する体勢をとろうとしたのであった。

 いわば挟み撃ちである。

 バルチック艦隊が東に抜けた時は、第1戦隊とバルチック艦隊と第2戦隊とは

 ちょうど乙字の形となる。

 それなら第1戦隊と第2戦隊は間に置いたバルチック艦隊に十字砲火を浴びせ

 ることができるのだった。

 

 

 

 

  ただ第1戦隊から見ると、現在は第2戦隊が敵との間に入り込んでしまった

 形であった。

 やむを得ず第1戦隊は砲撃を一旦停止せざるを得なかった。

 15時5分。

 第1戦隊は「左八点一斉回頭」を行った。

 今度は装甲巡洋艦日進を先頭にした逆順単縦陣となり西北西に進み、北進す

 る敵の前面に出ようとした。

 15時7分。
 第1戦隊は南側のバルチック艦隊に対し左舷戦闘を開始した。

 北進を始めたバルチック艦隊主力は北進を一旦断念、「ボロジノ」は第1戦隊

 を避けるように右へ回頭した。

 一時的な東進となり、バルチック艦隊主力は反航戦の態勢となった。
 この頃インペラートル・アレクサンドル3世が先頭に復帰した。

 バルチック艦隊はしばらく右回頭を続けたため、第2戦隊とは一時的・部分的

 に並航戦の形となった。
 第2戦隊も南東に進んで敵の先頭を圧迫し攻撃した。
 バルチック艦隊はさらに右へ回頭することで第2戦隊から離れることができた。

 15時10分。

 第2戦隊は並航戦を切り上げ、砲撃も中止した。

 15時16分。

 第2戦隊は左回りの<左16点逐次回頭>を行い、針路を西北西にとった。


 

 

 

  15時20分。

 第2戦隊は左舷正横やや前方に、北方へ向かうバルチック艦隊を認めた。

 バルチック艦隊はあの後第2戦隊の後方を大きく右回りして結局第2戦隊の

 左側に出ていたのだった。

 距離は6,000m。

 第2戦隊は砲撃を再開した。
 15時26分。

 距離3,100mまで近づく。

 ただ、風はなくなり濃霧と爆煙の垂れ込める天候となっていた。

 かろうじてマストの旗が見えるだけで、バルチック艦隊の姿はほとんど見え

 ない。

 第2戦隊は砲撃を緩めつつも、なおもその旗を頼りに砲撃を続けた。

 15時34分。
 左舷にクニャージ・スヴォーロフを発見する。

 1,700mという至近距離で砲撃を加えたがほとんど反撃は無し。

 砲撃を中止する。

 そして近づく第1戦隊を確認した。

 15時47分。

 右へ回頭して北東へ針路を取り、第1戦隊の左前方に入った。

 

 

 

 

  連合艦隊には、大回頭に参加しなかった第3・第4・第5・第6戦隊があった。

 これらは戦場後方でバルチック艦隊の後方に襲い掛かった。

 14時45分。

 第3・第4戦隊が主力艦隊の右方にいたバルチック艦隊の巡洋艦・特務船に対

 する攻撃を開始した。

 第3・第4戦隊は反航戦から同航戦に移りつつ攻撃を繰り返した。

 15時07分。

 第3戦隊旗艦の巡洋艦笠置が離脱した。

 水線部に受けた損傷で浸水がひどく、油谷湾で18時に修理を行うためであっ

 た。
 これには護衛と第3戦隊司令官出羽重遠の移乗のため巡洋艦「千歳」が同行し、
 巡洋艦「音羽」、同「新高」が臨時に第4戦隊に合流した。

 15時30分。

 バルチック艦隊の後方で離れて航行していた病院船アリョールと同<コスト

 ローマ>、仮装巡洋艦<佐渡丸>や同<満州丸>に捕捉された。
 臨検のため荒れた外海から三浦湾に移動させられた。

 16時20分。

 第3・第4戦隊は曳船<ルーシ>を撃沈し、仮装巡洋艦<ウラル>や工作艦<

 カムチャツカ>にも損害を与え脱落させた。
 第5・第6戦隊も攻撃に加わった。

 この頃、バルチック艦隊主力の一部が南下してきた。

 後方戦隊である第3・第4・第5・第6戦隊がこれと遭遇し交戦。

 16時40分。

 巡洋艦「浪速」が浸水するなど被害を受けて一旦退避。
 半ば孤立状態であった巡洋艦・特務船はこの時にバルチック艦隊主力と合流し、

 彼らとともに再び北へと向かうことになったのだった。

 

 

 

  15時49分。

 第1戦隊は北東へ針路をとった。
 Uターンを行っていたので(<左八点一斉回頭>2回)、今度は三笠を先頭に

 した単縦陣に戻っていた。
 15時55分。

 距離約7,000m。

 第1戦隊は北方へ遁走する敵艦主力を東微南に発見した。

 バルチック艦隊は乱れた隊列をまとめる努力を続けつつ北進を試みていた。

 その主力の前方を、孤立して北東に針路を取とるクニャージ・スヴォーロフ
 が進んでいるのが見えた。

 クニャージ・スヴォーロフは機関の調整によって操船の自由をある程度取り

 戻していたが、既に戦闘力は失っていた。

  そのクニャージ・スヴォーロフに第1戦隊は接近した。
 16時1分。

 距離6,500m。

 第1戦隊は砲撃を再開した。 
 すぐに事情を察して東郷は砲撃を切り上げたが、その間に他の敵艦主力は後

 方に遠ざかり見えなくなってしまった。

 操艦の不自由があり、しかも両艦隊の間を進んだため集中砲火を浴びること

 となったクニャージ・スヴォーロフはダメージが大きく、いまや悲惨な状況

 となっていた。





  

  バルチック艦隊主力の北西側を、先行する第2戦隊とその後に続く第1戦隊

 は単縦陣で並航路を進んでいた…
 16時15分。

 第1戦隊は向きをやや東寄りの東北東に変針し、北側から敵へ接近・すり寄っ

 た。
 バルチック艦隊は北側から圧迫を受けいち早く緩やかに右へ回った。

 その後もバルチック艦隊は右へ回り続けた。

 16時24分。

 第1戦隊はほぼ東に向かった。

 16時30分。

 先行していた第2戦隊は敵を見失った。

 第2戦隊は南へ向かうことにした。

 16時35分。

 第1戦隊は<左八点一斉回頭>を行った。

 敵がまた後尾をすり抜けて北へ逃れようとすることを慮ったからだ。

 バルチック艦隊はこれを見てか北進を止めた。
 これを見て第1戦隊もすぐに単縦陣へ戻ろうとした。

 ただ、手間取った。

 信号を各艦が確認するのに手間取ったためである。
 16時43分。

 第1戦隊は<右八点一斉回頭>を終えた。
 この間に第1戦隊はバルチック艦隊を完全に見失ってしまった。

 16時47分。

 北方へ向かおうとする第1戦隊を見失いかけていた第2戦隊は、第1戦隊に近

 づくため北西へ向かおうとしているところだった。

 この時南方からの砲撃音を聞いた。

 少なくとも第1戦隊の現在位置を示すものである。
 これで第1戦隊の南進が確認できたので、第2戦隊は、再び南方へ向かった。

 16時51分。
 第1戦隊は南に変針した。


 

  17時30分頃。

 駆逐艦<ブイヌイ>がクニャージ・スヴォーロフを発見する。

 ロジェストヴェンスキーや幕僚らはブイヌイに移乗して他の艦を追った。

 ロジェストヴェンスキーは頭部に負傷を負って意識を失いかけており、指揮
 権をネボガドフに譲った。

 17時28分。
 第1戦隊は、南進を続ける第2戦隊と分離して北北西に向かう。

 17時40分ごろ。

   孤立していた<ウラル>と遭遇、これを撃沈する。 
 17時57分。

 ほぼ同方向に進むバルチック艦隊を発見、砲撃を再開した。

 この時のバルチック艦隊の主力艦は10隻であった。
 先頭はボロジノ、それにオリョールが続き、損害の大きいインペラートル・

 アレクサンドル3世などが後方に回っていた。
 第1戦隊は当初はボロジノへ攻撃を集中した。

 爆煙で照準が困難となると次はオリョールを狙った。
 ただ、距離が詰まらない。

 18時45分。

 第1戦隊はこれ以降、主砲のみのゆっくりとした射撃を行った。
 19時頃。

 インペラートル・アレクサンドル3世が大きく左へ列外に出て沈没。
 これに後続して列外に出た数艦は、これを見て目的を放棄しようとした。

 戦場離脱である。

 海防戦艦「アドミラル・ウシャーコフ」、
 戦艦「ナヴァリン」、同「シソイ・ヴェリキー」、
 一等巡洋艦「アドミラル・ナヒーモフ」、

 である。

 彼らは南方に逃走しようとした。

 だが、敵艦を探して北上してきた第2戦隊にそれを阻止された。

 彼らはその願いが果たせず再び北へ向かうことになったのだった。

 結局彼らに待ち受けていた結果は、主力に遭遇できずバラバラになり各個撃

 破されるという運命だった。

 19時ごろ。

 同周辺を漂流していた<カムチャツカ>が沈没した。
 第4戦隊などの攻撃により仕留められた。

 

 

 

 

  戦いは日没を迎えていた。

 辺りはかなり暗い…

 すでに勝敗は決したと言っていい。

 だが、まだ気を許すわけにはいかなかった。

 連合艦隊には掃討戦が待っていた。

 バルチック艦隊にとどめを刺すまでは、この戦いは決して終わらないのであ

 った。

 …19時10分

 三笠は砲撃を中止した。

 後続の各艦もそれに倣い、砲音は順次収まっていった。

 19時20分

 砲戦は終了した。

 それは<事実上>の日露海戦の終わりを意味するものとなった。

 ――その時であった。

 2回にわたって大爆発が起こった。

 ボロジノが転覆、沈没した…

 轟音とともに五月の夜空に巨大な火炎が噴き上がった。

 最後の被弾が弾薬に引火したのである。

 まるで最後を飾らんとしてか、そしてこの戦いの終わりを告げるかのように…

 それは壮烈な最期であった。

 また同じく19時20分、つまりは同時刻。

 あのバルチック艦隊旗艦のクニャージ・スヴォーロフが沈没した。

 上部構造物のほとんどを破壊されただ海上を漂うばかりであったのだが、こ

 の艦はその後も攻撃を受け続け、最期の止めとして第5戦隊随伴の第11艇隊

 の魚雷を受けてついに海中に消え去ったのだった。

 何やら因縁を感じさせるそれは最後であった…

 

  日本帝国海軍では、ここまでの戦いを後に第1合戦と呼んだ。

 こうして27日、昼間の戦闘は終わった。