歴史のない日本人象   

 

             ――敗北者たちの姿見――

              1868~1945

 

 

 

 

                           

        太平洋を真っ二つに引き裂いたルーズベルトの陰謀

 

                (Ⅴ)

 

   岩畔が意を決したように立ち上がると、天皇にこう尋ねた。

 「陛下、…

 ルーズベルト大統領はこれからいったいどう仕掛けようというのでしょうか?」

 「フーム」

 と、天皇は首を少し傾げていた。

 次に顔を上げると、

 「同じ問だがな……

 うーん、……貴公のそれは朕の関心とは少しズレているようだ」

 問題は二つに分かれていると言うのだ。

 そう言うと少し天皇は笑った。

 しばらく岩畔の顔を眺めて思案していたが、やがて考えに整理がついたのか

 以下のように話した。

 どうやら岩畔の問いを優先することにしたようだ。

 「貴公の問いに対する答えは、おそらくは大統領は日本に対してこれからど

 う仕掛けてくるかであろうな。

 一番いいのは……まぁ待つことだろう。

 自然と分かる。

 具体的なことは、遠からず姿を現してくるだろうからそれを待てばいい。

 だいたい仮にそれが分かったとしても、日本としては止めようがないから静

 観するほかないだろう。

 相手に任せるほかないのだから、それでよいのではないかな。

 もっとも大枠は分かっているがな。

 資源そのほかの輸出入を止めることだろう。

 これら経済的締め付けをじわじわとやって最後に日本の息の根を止める!

 極めつけは石油の全面的禁輸!

 おそらくこれは単にアメリカ一国の禁輸で終わるものではないだろう。

 もしほかから手に入ったら意味は全く無いからな。

 どこからも石油が日本に入らないように徹底的に妨害するだろう。

 日本を暴発させるためにはぜひともそれが必要なのだ。 

 完全に一滴とて輸入できないようにする。

 そして海軍の尻に火を付ける…

 それがルーズベルトの目論みなのだ。

 だから、誰が見てもこれが彼の謀略だということは一目瞭然だろう。

 そうでないならばそこまでする必要はないからだ」

 

 

 

 

  「さて、そういうことなので朕の関心は別の方、もっぱら大統領ルーズベ

 ルトがアメリカ国民にどう働きかけるかの方に注目しているところだ。 

 戦争に反対する国民を切り崩し、何とか戦争賛成にもっていかなければなら

 ないからな。

 焦ってやりすぎると自分の身が危なくなるしな。

 まぁ彼としては<隔靴掻痒>と言うところだろうがな。

 機会を得て、じわじわとその方向にもっていく必要がある。

 さぞもどかしいことであろうよ。

 相当の忍耐がいる。辛抱のしどころだろうな。

 だが、ここが彼の宣伝広報能力の見せどころではある。

 実際、彼は演説でもそれを見せているよ」

 「陛下、何か目立ったことをしたのですか」

 「ふむ、…

 名指しはしなかったがな…

 ある演説で、ドイツ・日本・イタリアを黴菌扱いして隔離すべきだと説いた

 のだ。

 三国をひとまとめにして危険を訴えたところがなかなか秀逸だと思った…

 今のところアメリカでもっぱら取り上げられるのはドイツだけだからな。

 日本はさほどではない。

 アメリカにとっては日本など取るに足りないものなのだ。

 日本がアメリカに直接脅威を与えているわけでもないしな。

 それどころかむしろ日本はアメリカのお得意様だろう。

 だから、日本がすでにドイツと同一と強調されているところがなかなか見事

 なのだ。

 彼はすでに先を見据えているとしか思えない。

 実に用意周到だよ!

 これからアメリカでナチスをなじればなじるほど、その裏で日本のイメージ

 もどんどん悪化していくという仕組みにしている。 

 ルーズベルトにとって日本の利用価値はますます高まるというわけだ。

 これでもし日本から攻撃されたら、即ナチスから攻撃されたことと同じこと

 になるからだ。

 アメリカは日本を踏み台にしてすぐさま欧州戦争に参戦できる。

 どうだ、なかなか見事な仕組みではないか」

 

 

 

 

  福本が思い出したかのように尋ねた。

 「陛下、ひょっとしたら例の<隔離演説>でしょうか?

 …内容は知らないのですが、概要は聞いたことがあります。

 何か意味があったのですね」

 「そうだ、…

 ルーズベルトの努力の現れなのだ。

 彼も非常に苦労しているのだよ。

 彼の頭の中にあるのはドイツだけだ。

 日本なんか存在していない。

 できれば直接戦ってヒトラーを倒したいのだが、ヒトラーは決してその挑発

 に乗らない。

 何とかならぬかと苦心惨憺しているのだ。

 まことに涙ぐましいばかりの努力といえる。

 これを見ていると、日本人の指導者たちに言いたいね。

 ちっとはルーズベルトを見習え、少しはお前たちも考えろと。

 何としてもドイツを倒そうと彼は懸命の努力を傾けている。

 そのためには今度はどうしても破壊する必要があると日本に牙をむいている

 のだ。

 日本としては迷惑千万なこと限りないがね…」

 

 

 

 

  「朕は、ルーズベルトは本当はせっかちな性格ではないかと思っている。

 彼は最初はもっと手っ取り早い方法を求めていたからな。

 このころの彼は、もっぱらドイツを挑発することに熱を挙げていた。

 例えばアメリカはドイツの潜水艦を執拗に追い回すなどした。

 だがドイツの潜水艦はただ逃げ回るだけだけで、決してアメリカ側の艦船を

 攻撃しようとはしなった。

 ヒトラーはアメリカのどんな挑発にも全く乗るつもりはなかったのだ。

 しかしある時完全に追い詰めてしまったために、とうとう攻撃されて逆にア

 メリカの艦船が無様にも撃沈されてしまうという事件があった。

 この機をとらえてルーズベルトは騒いだ。

 彼は国民を裏切る強い戦争指向を白日の下に曝け出したのだった。

 『宣戦布告だ!!』

 ところが議会も、マスコミも、国民もそれにそっぽを向いた。

 彼は失敗した。

 アメリカ国民の戦争を嫌う姿勢がいかに強固かをルーズベルトは悟った。

 この時ルーズベルトは冷や汗を背中にどっぷりとかいて思ったに違いない。

 もうこのような方法は二度ととれない…

 国民の疑惑と不信感を強めかねないその姿を国民の前に曝け出す、このよう

 な方法は、懲りたルーズベルトにとっては肝を冷やす方法以外の何ものでも

 なくなった。

 かくしてルーズベルトは試行錯誤の末、やっとこの策に辿り着いたのだ。

 どこかの国にまず先に攻撃させればいいのだ。

 その国はアメリカの締め付けに最も困る国!

 しかも武力に自信を持つ国、誇り高き国!

 その国に攻撃させれば、アメリカ国民は必ず立ち上がる!!

 だから解決策は大西洋側ではなく、太平洋側にあった!

 表ではなく裏側にあった!

 表正門からではなく、からめ手口から攻めることにしたのだ。

 結局、急がば回れ!ということだったわけだ。

 さぁ、そうなると日本が重要になってくる。

 暴発させることができるのは哀れな日本だけということになるからな。

 そうなると日本が求める講和はいよいよ絶望的となるのだ。

 これはまことに厄介、訪れるのは混乱しかないからな。

 そのため事前の話し合いで何とかなると信じているものたちは足を引っ張り、

 日本をさらに危機に追い込む。

 そしてそうであるものもそうでないものもこぞって、日本国民をいよいよ破

 滅へと誘うのだ」

 

 

 

 

  「そうだ、ルーズベルトの努力はほかにもあるぞ」

 と天皇は言った。

 「ほかに……ですか?」

 今度は秋草が聞いた。

 天皇は頷いた。

 「彼はラジオを利用している。

 そこで<炉辺談話>という番組を開き国民に語り掛けているのだ。

 自分の主張を受け入れさせるために懸命に環境を整えているのだ」

 「ラジオ!――をですか?」

 三人は思わず声を上げた。

 ルーズベルトは今大変珍しい最新の方法を使って国民を説得にかかっている

 というのだ。

 大統領の並々ならぬ意欲が、さすがに彼らにも感じ取れた。

 「ルーズベルトはアメリカ国民に警告しているのだ。

 世界が危ないと!

 アメリカとて小環境である。

 それを取り巻く大環境が今危機的な状態になっていると…

 彼はアメリカ国民に大いに危機感を煽ろうとしている。

 今はアメリカは平和だが、その外ではすでに強烈な暴風雨が吹き荒れている。

 それはまったく予断を許さない。

 それはいつアメリカを襲うかもしれない。

 このままでは、このアメリカの平和がいつまでも保たれる保証はない。

 その前に何か手を打たなければならないのではないかと…」

 「陛下、効果はあったのでしょうか?」

 天皇は首を振った。

 三人はほっとしたように顔を見合わせた。

 「表立ってはな。

 だが、…土台はじわじわと変化しているかもしれないぞ。

 決して軽視することはできない」

 「…… ……」

  天皇のその言葉は彼らの不安を決して打ち払うものではなかった。