忘れてはいけない悲劇 - 史上最大の被ばく事故 - (1) | 藤村操のブログ

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誰だって、極度の自信家や虚栄心の塊でない限り、

人に恥ずかしいと思う自分の言行の記憶をもつはずです。

藤村操は、わずかに遺した高邁な思想的断片とは裏腹に、

スノブでした。ぼくはそこに、自身を見た気がします。

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入院したときの、ふつうに話していた大内さんの姿を知っている

名和純子は、大内がどんどん変わっていく様子をずっと見つめて

きた。すべてが変わってしまった大内のケアをしながら、「人間

って、こんなになってしまうのか」と衝撃を受けていた。

体の前面の皮膚はほとんど失われ、口からも腸からも出血して

いる。そうして失われた血液や体液を自分たちはひたすら補充す

る。もしかしたら「治療」という名のもとに、大内はこういう状

態をつづけさせられているのではないか。

 名和は「大内さんはいやだろう」と思った。

「そこまでやって治るのならいいけれども、でもたぶん治らない

だろう。そいう状態を長くつづけさせていくことは、大内さんに

とっては苦痛なんじゃないかと思ったんです」


( 中 略 )


「ここにいる人は何なんだろう。だれなんだろうではなく、何な

んだろう。体がある、それもきれいな体ではなくて、ボロボロに

なった体がある。その体のまわりに機械が付いているだけ。自分

たち看護婦は、その体を相手に、次からつぎに、その体を維持す

るために、乾きそうな角膜を維持するために、はげてきそうな皮

膚を覆うために、そういう処置ばかりをどんどんつづけなければ

ならなかったんです。自分は一体何のためにやっているんだろう。

自分は別に角膜を守りたいわけではない。大内さんを守るために

やっているんだ。そう思わないと耐えられないケアばかりでした。

大内さんを思い出しながらでないと、自分のやっていることの意

味が見いだせないような、そんな毎日でした」(「朽ちていった

-被爆治療83日間の記録-」(NHK「東海村臨界事故」取

班)新潮社)

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(NHK「東海村臨界事故」取材班 新潮社))

・・・


年末から年始にかけて、なぜか原子力に関する報道が多く目立ちまし

た。金融危機のただ中にある米国発、原子力ルネサンスなどと喧伝さ

れる現象の影響もあるのでしょうが、中部電力の浜岡1、2号機廃炉

と6号機新設発表、東京電力柏崎刈羽7号機の再起動への動きに始ま

り、放射性物質表示のされた日本原電のドラム缶が、新潟県の産廃処

理施設に放置されているのが見つかった騒ぎ、そして西松建設の裏金

疑惑と原発利権との関連等、国内だけに目を向けてみても、それこそ

枚挙にいとまがないほどでした。

一頃と変わり、最近は地球環境に対する世界的な関心の高まりなどか

ら、低炭素社会なるスローガンが掲げられ、化石燃料の燃焼削減や温

室効果ガス排出削減などが強力に叫ばれていまして、反原発勢力と常

に対立してきた原子力関係者に言わせますと、いまが追い風のようで

す。原子力産業の利害関係人、あるいは産学官の原子力関係者が共有

する独特の倫理意識、条理を揶揄して、かれらを「原子力村」の住民

などということが言われますが、これは的を外していないと思います。

それぞれ属する組織によって差こそありますが、本質的な部分できわ

めて共通する何かをもっているのは確かだという気がします。

たとえば、メーカの技術者でも、電力会社、学会、あるいは当局のそ

れでも、かれらにとって自分や家族のつぎに大切なものは、会社でも

学校でもありません。それこそまさに、「原子力」だという気がしま

す。かれらには、一般人がもつ程度の会社や組織に対するロイヤルテ

ィより、原子力という最先端技術の普及、発展に対する使命感や自負

のようなものが先にあります。同様に、原子力産業の利害関係人は、

安全、安心以前に、倫理や規範意識より先に、まず原子力発電ありき、

というように見えます。この演繹的な論理、思考、観念が、ぼくは両

者似ていると思うわけです。


さて、少々前置きが長くなりましたが、原子力というものを考えると

きにいつも、ぼくがどうしても思い出すことがあります。今日は、そ

のことについてお話をしようかと思っています。それは、いまからも

10年近く前になりますが、1999930日、茨城県那珂郡東海村とい

う所で、ジェー・シー・オー(以下、「JCO」)という住友金属鉱

山の子会社が起こした、いわゆる臨界事故のことです。この事故によ

る被ばくで、同社作業者2名が死亡しましたので、ご記憶の方もいら

っしゃると思います。原子力の賛否をおいたとしても、日本人として、

ぼくはこの事件を忘れてはならないと思っています。


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(株式会社ジェー・シー・オー 東海事業所)


冒頭述べました、年末年始の原子力関係の報道のなかに、福井県敦賀

市にある高速増殖炉(以下、「FBR」)もんじゅの運転再開延期、

いうものがありましたが、これからお話する事件を引き起こした間

的原因が、まさにFBRだったわけでして、このもんじゅの一世代

にあたります、研究目的の実験炉の常陽でした。エネルギー資源に

しい日本にとって、まさに夢の原子炉であったFBRを、国は「国

基幹技術」として位置づけ、2.8兆円ともいわれる巨費を投じ、国策

として強力に推進してきました。常陽は、そんな大きな期待を背負っ

1977年に最初に運転開始した実験炉です。

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(常陽:初臨界:昭和52.4 増出力後臨界;平成15.7 熱出力:140MW


事故を起こしたJCOという会社は、いわゆる「燃料再転換工場」で

したが、要するに核(原子)燃料製造の一過程を担うウラン加工施設

ということになります。現在、世界の商用(発電用)原子炉の主流は、

軽水型といわれるものですが、この型の原子炉では、燃料として二酸

化ウランという化合物が利用されます。ところで、ひとくちにウラン

と言いましても、燃料に適する(核分裂を起こす)ウラン(ウラン235

は、天然ウランにわずか0.72しか含まれませんので、この比率を人

為的に高めてあげないことには、核燃料としては使えません。


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(ウラニウム235


この、ウラン235の比率を高めることを称して、「ウラン濃縮」などと

言いますが、原子力発電所で使用される一般的核燃料としては、濃縮

度約2%ないしは5%が必要となります。濃縮度をここまで高めるた

めには、まず必要なウラン235と核分裂を起こさないウランとを分離

しなければなりませんが、もっともポピュラーな方法にしたがいます

と、この分離のため、ウランを気化させる必要が出てきます。そして、

この気化のために、天然ウランをいったんフッ素と化合させ、六フッ

化ウランという化合物が作られます。


非常に迂遠な感じもしますが、通常のウランの沸点は3,818といわ

れますので、これがわずかに56.5であるというだけで、遠回りして

でも、六フッ化ウランに転換する意味があります。これを転換といい

ますが、この作業性が向上した、といいますか、ウランの分離が容易

となった六フッ化ウランを気化させ、遠心分離法等によって、濃縮度

を高め(調整し)まして、そのうえで今度は二酸化ウラン粉末(固体)

へ転換することを、再転換と称します。すなわち、JCOは、専らこ

の再転換を業とする会社でした。


さて、この燃料再転換、当時国内ではわずかに2社(JCOと三菱マ

テリアルと三菱重工業の共同出資による三菱原子燃料)だけが事業と

しておこなっていましたが、実際にはビジネスとして国際競争にさら

され始めており、JCOは生産、売上とも衰微の一途をたどる最中に

ありました。原因は、親方日の丸的な企業体質と高コスト構造にもあ

りましたが、何しろ技術的な立ち遅れということができると思います。

(JCOは、国際的に主流となっていた乾式法による再転換方法を確

立できず、旧来からの湿式法を続けていました。)