村上世彰氏が通商産業省を退官した1999年、改正商法によって、日本
にも「株式交換」制度が創設されました。すなわち、企業買収に際し
て、買収対象企業の発行済株式と自社の新株式を交換する方法が認め
られるようになった、ということです。分かりやすくいいますと、そ
れまで買収者は、買収対象企業の発行済株式を現金で買い取らなけれ
ばなりませんでしたが、現金のかわりに当該企業株主に相当の自社株
式をあてがうことで、買収が成立するようになった、ということです。
本制度導入によって、買収者は、買収のための巨額の資金(キャッシ
ュ)が必要なくなりましたし、従来型の吸収合併よりも手続きが簡便
で、買収後の機動的経営が可能(法人として一応別人格ですので、い
ざとなれば、買収先を丸ごと売り飛ばすこともできます。)となりま
した。そして、この「株式交換」の際にきわめて重要となってまいり
ますのが、交換比率の算定でして、さらに比率算定のファクターとし
て、最重視されるのが「市場株価」です。このことが、先に述べまし
た「オーナー経営者にとっての恩恵」と関係があります。
株式交換による企業買収における「交換比率」は、合併時の合併比率
にも喩えられる重要事項であって、買収側、被買収側双方の株主の利
害に大きな影響を与えるものですから、買収の成否自体が、この比率
に関する事前の交渉、協議、合意形成の経過に係っていると言って過
言ではありません。そして、この重要なプロセスにおいて、わけて重
視されるのが「市場株価」でして、一般にこれが交換比率算定の最大
の基礎とされているのです。いわゆる「市場株価平均法」ですとか、
「市場株価基準法」と言われる手法ですが、ようするに不特定多数の
投資家が参加する公開市場において、自由売買によって形成された両
者の株価、つまり時価の比較でもって交換比率を定めるというもので
す。もちろん、他の要素も加味するケースがほとんどですが、こちら
は補正的意味合いであることが多いのではないでしょうか。何しろ、
「市場株価」こそが、企業の財務状況、事業計画、経営、将来性およ
び業績等すべての要素が反映された結果であり、企業価値の客観的、
定量的な評価であるという、一種の信仰から出発した演繹的思考です。
そして、この最もポピュラーな手法による交換比率算定こそが、ひい
ては「オーナー経営者にとっての恩恵」に他なりません。同時に、俗
に言われる「時価総額(至上)主義」の背景ともなっています。オー
ナー経営者は、読んで字のごとく、まさに同じ主体でありながら、オ
ーナー(株主)としての性格と経営者としての性格をあわせもってお
り、この二面性がどこの何某という自然人の内に合一され、そこから
発する意思にしたがってふるまうわけですから、どちらの側面が強調
されるか、またどのような行動を選択するか、については、株主だの
経営者だのという衣装を脱ぎ去った一個人のキャラクターに、相当程
度、依存せざるをえません。村上氏らが喧伝した、コーポレート・ガ
バナンスの問題とも係わりますが、建前はともかく現実社会において
は、かならずしも利害が一致しない立場、株主と経営者とを、一個の
人格であるオーナー経営者が兼務するわけですから、会社は意思決定
が容易です。すなわち、経営者に対する株主によるけん制、というも
のがありえないからです。悪く言えば、すべての局面で、オーナー経
営者によるご都合主義が幅を利かせる結果ともなりかねないわけです
が、まさにこれぞ「オーナー経営者にとっての恩恵」なのです。
株式交換制度の導入によって、M&Aが以前とくらべて容易になったわ
けですが、市場株価によって算定した自社株をお金の代わりにして、
他企業を買収できるということは、時価総額が高ければ高いほどM&A
がしやすくなる、ということを意味します。すなわち、自己株式の市
場株価が高ければ高いほど、経営者は、他企業を買収、支配するチャ
ンスを多く得て、さらに大きな経営権(権力)を獲得することができ
る、ということです。一方で「株主価値」向上という耳心地よい言葉
で仮装し、専ら自己株式の市場株価上昇を企業経営の目的とするよう
な経営者が現出したのは、このためです。そして、実質はどうあれ経
営者が実際にM&Aを実行しますと、一般的に市場はこれを好材料とし
て反応しますので、自己株式の市場価格はさらに上昇し、時価総額が
なおいっそう増大することになります。当然、これを背景とし、経営
者はなおさらに企業買収が容易となるわけで、こうした連鎖を際限な
くくり返してゆく誘惑に駆られるのは、無理からぬことのように思わ
れます。そして、経営者が株主でもあれば、そもそも株主と経営者の
緊張関係はなく、まさにご都合主義によって、経営者の飽くことのな
い、この権力志向をけん制する機能は働く余地がありません。
こうしてオーナー経営者が支配する企業(以下、「オーナー企業」)
にあっては、たとえば、経営者が大きな権力を追求するがあまり、無
謀なM&Aや、きわめてハイリスクな資金調達を企んだり、あるいは中
長期的なヴィジョンや、いわゆる企業の社会的責任(CSR)に対する
自覚が欠落した経営計画を立案したり、さらにはコンプライアンスの
面から問題がありそうな行動に出ようとした時、これらを思いとどま
らせる力が働きません。もちろん、これが小規模な個人商店であれば、
やむをえない面もあるかも知れません。しかし、利害関係人(ステー
クホルダー)がきわめて多岐に渡り、多数となる上場企業においては、
時にこの偏向的力学が、社会問題を引き起こすことともなりえます。
そして、オーナー企業におけるこの力学に対し、先の株式交換、交換
比率算定、時価総額主義は重大な影響をおよぼし、結果的に、しばし
ば一企業の問題を超える大問題を社会に出来させます。
「市場株価」が先に述べましたように、財務状況、事業計画、経
営、将来性および業績等、企業のすべての要素を反映し、客観性
を有した価格である以上は、あるいはその限りにおいて、市場株
価から当該企業の実体、企業価値が推認されます。因果関係から言い
ますと、当然、先に財務、事業計画、経営等の企業実体があって
こそ、市場株価が形成されるべきですが、市場株価に対する信仰が存
在する限り、この転倒とでも言うべき現象が起こります。すなわち、
市場株価、ひいて時価総額の大きな企業ほど、企業価値が高い企業で
ある、というイメージ、共同幻想の一般化です。こうしたイメージが
普及することで、企業経営者はますます、自己株式の市場株価上昇だ
けに血道を上げるようになります。もっともっと、「流動性」とやら
を高めよう、そして売買を盛んにし、市場に絶えず(M&A等)話題性
を提供し、そうして上昇した株価を背景に、さらにスケールの大きい
M&Aを手がけよう、ということになります。いつしか経営者の視野に
、売上高や営業利益(≠経常利益)などは後方に退き、市場株価(株
式時価総額)が前面に躍り出ます。
もちろん、オーナー企業でなくとも、CSRを度外視したM&Aの多用や
時価総額主義を手放しで礼賛する、「強欲で浮気な」株主ばかりによ
って所有された企業であれば、株主と経営者との間の本質的な利害対
立等はそもそも少ないかも知れず、ひとり「オーナー経営者にとって
の恩恵」とは言われないかも知れませんが、往々に株主が強欲で浮気
であればあるほど、両者のコンセンサス形成は困難であり、M&Aの規
模や対象、タイミング等に関する意思決定が常にスピーディーにおこ
なわれるとは限らないでしょう。この点、オーナー企業であれば、こ
れがスムースにおこなわれ、同時に、目論見どおりに事が進む限りに
おいて、オーナー経営者は経営者の立場として、他の既存株主に、譲
渡益や配当という形で目に見える利益をもたらすことができます。そ
してこのことが、オーナー経営者の経営者としての立場をいっそう強
いものとするとともに、さらなる株価上昇、そして時価総額主義に拍
車をかけることになるのです。
さて、果たして、こうしたことをもたらす「流動性」とやらは、本当
に堀江氏が言うように、社会にとって最重要と言えるでしょうか。他
のあらゆる弊害を看過してまでもこれを維持し、また政策上、他に優
越して配慮されるべきものと言えるでしょうか。株式に限りません。
いわゆる「証券化」(Securitization)によって多様化した各種債権
についても、これは同じです。直接金融の普及、一般化にともない、
近年では土地や建物までもが証券化され、いわゆる「不動産証券化」
などという現象まで起こっています。たとえば、これも米国の対日圧
力によって実現したと言われるREIT(リート)と呼ばれる不動産投資
信託、またMBSと呼ばれる、不動産を担保とした融資債権を裏づけと
するモーゲージバック証券等です。かのサブプライムローン
も、ま
さしくこの高い流動性を売りにしたMBSという仕組みを通じて、世界
中を恐慌に陥れたわけです。