超弦理論ではこの世界の物質の単位は固有の振動数を備えた弦(ひも)と仮定します
この小さな弦は誰も視たコトも無く観るコトすら叶わず実在の証明は誰にも出来ませんでも弦と仮定するとこの世界の様々な不可解な現象が解明されとても辻褄が合います弦には様々なパターンが有り端が輪に閉じたり繋がったり鞭の様に片方を起点に開いていたりし、全て固有の振動数を持ち振幅とピッチ(波の頂点の間隔)で振れていますこの弦の組み合わせで万物の現象が構成され繋がりながら流転すると云うカラクリです
新幹線のレールは振動を抑える為に極めて正確に管理され窓から見える線路脇のラインを眺めてその振れの小ささに感心します。精密工作機械の直動システムはサブミクロンの精密さで製造され経年の摩耗でベアリングが摺り減るまで加工物の仕上がり精度を維持します。人が創り出したモノには直進という概念は存在しますが適確なメンテナンスを加えもほんの一時期のコトでしかありません。光を含めた電磁波は直進します。ブラックホールの重力場で空間が歪んでもその空間を直進し特異点を超えた場合は電磁波も出てきません
光が直進すると言っても振動の幅は持つので面積の無い一次元ではありません。波動は打たれた鞭であっても海の波であっても音の波であっても電磁波であっても当たったモノに衝撃やエネルギーを伝えます。その共振や共鳴と言う形でそれぞれ見合った相手と繋がりもつれ状態が始まります。何億光年彼方で起こった波動が受け手に瞬時に伝わり因縁の時を刻みます。ただし一対一の繋がりではありません電磁波は四方八方に拡がるので様々なルートで無数対無数の繋がり方をします因縁が終われば手放しままた新たな因縁を繋ぐ。
プラズマボールの様にターザンの蔦渡りの様に放しては掴み直し移動して止まりません。但し永遠ではありませんコマの様に回っている間だけの寿命なのです最後はエネルギーに帰ります。それまでにどれだけ多くの受け手に干渉するかが全てなのです人の命は放物線この世に生を受けて大きく育ち力が漲って頂点に立っても何れ下降して元の木阿弥に戻る例外は在りません。誰か他力の助けで寿命が伸びてもそれは助けてくれた力の為せる業本人の力では在りません。人の人生は何時でもプラス・マイナスゼロ。ゼロから始まりゼロに帰る
幼い頃逆境で成長した人は何時の日か自分の人生が開花します。逆に何不自由無い環境で成長すると何時の日か必ず試練が訪れます。それを知って親等の他力はわざと常日頃から自分が出来得る限りの試練を積ませ社会的に有利な階段を登らせます。彼らも怠惰に過ごせば親の敷いたレールを踏み外します。難関校に合格するには並大抵の努力ではありません。そして如何なる環境に生まれるコトも罪では無く幸運でも無いのです。先に辛酸を舐めて後に成功を勝ち取るのもその逆も結局全く同じなのです実は善いも悪いもありません
親ガチャ?そんなモノは自分の命に何の関係もありません誰か先人が拵えた小さな地球のそのまた小さな島国のこれまたほんの短い期間だけに通用するモノや価値観に囚われいては本当の自分の命は全うできません。時には親とよく似たアイデンティティを共有するコトもあるでしょう共通の遺伝子も持つ訳だから・・でも親と自分は違う命だし親に自分の人生は分かりませんしどうにも出来ない、またしてもいけない、自分で選択してこそ自分の命、もっと努力を?そんなコト出来るならとうにやってます。出来なかった結果も全部背負って突っ走るだけです。
大丈夫です!自分の世界は本当に自分にとって上手く出来ていて必ず何とか成るのです。学校や会社や社会や法律は誰か知らない人が作って思い通りにいかないけれどこの世界は元々自分が創造したモノなので自分に都合善くしか出来ていないのです・・
但し本当の自分で生きればの条件は付きますが・・・・後ほんの少しの勇気と・・・