茶室の床の間のような空間に◯ の真ん中に ・ が描かれた掛け軸を
観たコトはありませんか?私は昔大河ドラマかなんかで観た記憶があり、
丸に点の禅画が基本と思ってましたが実は丸だけを描いた方が基本で
禅宗で瞑想をする時に眺める大宇宙を表す一筆書で円相と呼ばれます。
丸に点があるバージョンは漬物の名の由来として有名な沢庵宗彭和尚の
オリジナルのようで意匠は違えど言葉なしで伝えんとする処は同じです。
禅僧がこの掛け軸の前で坐禅を組み煩悩を消して眺めます。丸い円に
意識を集中し続けると何時しか中の点が消え去ります、また逆に中の
点を凝視し続けると今度は周囲の円そのモノが消えて見えなくなります。
人間の視覚はそういう風に成っているのでしょう、片方に囚われすぎると
もう片方が疎かになるだから如何なる時にも全体像として達観しなさいと
沢庵和尚の円と点は円と空よりもそれを伝えるサポートかも知れません。
現存する円と点の掛け軸は手書きとは思えない様な見事な円の中に
チェックマークのような点がやや左上の中心からはずれた箇所に一つ、
私にはわざとずらして書き入れたとしか想えません。こんな完璧な円を
筆で描ける和尚がど真ん中に点も書ける筈なのに何故?あくまで勝手な
解釈ですがこれは完全と不完全との対比を同時に表したかったのかも
と考えています。本当は不必要な点。しかしその点はガイド役を果たす。
円が大宇宙なら点は小宇宙。小宇宙は大宇宙の至る処に存在するので
そもそも中心に配置する必要がない。マクロもミクロも果しなく拡がり狭まり
きりが無い。確かなのは私達は紛れもなくその中間の存在だというコトです
私達を通して大宇宙と小宇宙は繋がりそして循環する謂わば私達はみんな
無限の可能性を秘めた中宇宙なのです。だから誰だって宇宙のど真ん中に
居座るコトが出来るし透明人間の様に消え去り現れるコトも可能なのです。
禅宗の本尊は釈迦如来ですが仏教の最高位は宇宙を表す大日如来です。
宇宙は金剛界と胎蔵界の2界がありどちらも大日如来が最高位です。右手
は金剛界を表し左手は胎蔵界を表します。そして両界の大日如来を繋いで
握り結んで印とします。大小2つの宇宙をしっかり一つにして最高の智慧を
表現し宇宙の真理とするのです。そしてその智慧を真理に繋ぐのは私達
人間の選択で印を結ぶ仏像は円の中の点と同じガイドでありヒントなのです。
◯ と ・ を検索する途中 ◯ と 真ん中の ・ の一筆書きを見つけました。
どうして繋がっていない◯ と ・ を一筆で書けるのか?回答ネタバレは簡単
紙を折って頂点に点を入れ紙の裏側に半径分線を引いてそのまま円を書き
折った紙を戻し円を繋げると出来上がり・・・一筆のルールは守っています。
ただ2次元の紙を3次元空間を利用して線を突然消し突然出現させただけ。
高次元を利用すれば消したり出したり出来るという智慧と真理の話です・・・