人間には五感があります。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、この五つを通して
外界の刺激を感覚器官をで受け脳で解釈して認識するプロセスを知覚とします
これは人間だけに限らず動物は基より昆虫や微生物に至るまで汎ゆる生命が
この世界で活きる為に備わった外界と関わる為の謂わば道具であり接点です
有機物であれ無機物であれこの世にモノとして存在するには外界との干渉は
避けるコトが出来ません。万物は全てもつれ合い関係しながら流れています。
人間の視覚は限られた範囲の波長しか認識できません。しかし汎ゆる波長の
波動は降り注いでいます。この世は11次元だと数式的に提唱されています。
もしそれが事実だとすると余剰次元は何処に在るのでしょう?開かれた宇宙
いくらジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡の精度が良くても観測限界があります。
閉じた宇宙いくら最新電子走査顕微鏡の感度が向上しても限界があります。
結局仮に限界が無くてもこの世の全てを眼で認識するコトは出来ないのです。
聴覚、嗅覚、味覚、触覚に関しても結論は同じです。私達は開かれて同時に
閉じたとてつもなく大きく同時に限りなく小さい宇宙の間、ちっぽけな地球という
小さな惑星の陸の表面に這い蹲って蠢いているだけの存在なのでしょうか?
次元は11次元も在るのにほんの3次元に縛られて生きる必要が何処にあるの
でしょうか?眼に映るモノだけを信じると言ってもこの世の殆どは視えやしない
のです。見えないモノは存在しないのでは有りません本当は感じてもいるのです。
思考の中に浮かぶ映像は感覚器官を介すことなく直接脳が描き出しています。
それはその時の感情により様々な像を結びます。感情が恐れに押されれば怖い
像に疑いに苛まれれば望まない映像に心配に包まれれば悪い方の結果が顕れ
挙げ句の果にはその映像を現実に投影してしまうのです。これは逆の操作も
可能です。喜びの感情でイメージし愛をもって育み感謝の気持ちで受け入れれば
同じ感覚の未来がやって来ますこれが仏陀が説く八正道の一つ正見とされます。
ホームランを打つ時の大谷選手、ロングパットを入れる時のタイガー・ウッズ、
シュートを確実に決める時のマイケル・ジョーダン等超の付く一流アスリート達は
口を揃えて証言します。成功のイメージしか観ないと、逆に上手くいかない時は
必ず悪いイメージが先行すると・・最近の研究でこんなコトが発表されています。
脳スキャナーを使った研究者達は人は意識的な選択の7秒も前に潜在意識が
選択を決定していると。人の行動を支配しているのは自意識ではないのです。
五感は全てこの理屈に当て嵌ります。鼓膜を振動させなくても脳は音を生み出せ
臭いに頼らなくても嗅げ口に入れなくても味わえ触れなくても温もりは伝わるのです
感覚器官でレシーブ出来る範囲はごく限られた範囲のみです。でも実際私達は
認識せずとも受け取っているのです11次元全ては無理でも5~6次元ぐらいは
感覚を拡げるコトが出来ます。高次元の中の3次元のまだ底に這い蹲っている
からこそ観えない像や聞こえない音に感覚を澄ませば潜在意識は視て聞いてます
深海魚に眼の痕跡は在っても暗闇の世界では何の役にも立ちません触覚と嗅覚
が頼りです。聞いてみたコトは有りませんがそれで味わって生きていけるのです。
全ての感覚を3次元領域から開放すると高次元の生き方に繋がって往くのです。
3次元限定の理屈に拘る必要はありません。勿論ココに身体が在るので捨てる
コトは出来ませんがそれも含めた高次元の選択は可能です。それが有るが儘の
自由で束縛の無い生き方であり真の感覚に覚醒めると言うコトでしょう・・・・・