夢の中の自分は支離滅裂なストーリーの映像の中で自分自身を観ている。
覚醒している間は自分の手足は直接視れても鏡でも使わない限り後頭部を
観るコトは出来ない。でも夢の中ではまるでゲームキャラクターの様に自在に
自分が登場してくる。ある場面では普段通りの目線で、またある時は斜め上
後方から観てたり全く都合の良い位置のカメラに瞬時に切り替わるように映像
が流れてゆく。夢では自分自身の登場を眺める観察者の自分がもう一人いる。

起きている間に溜め込んだ様々なストレスやその時々の環境が紡ぎ出す動画
が勝手に動き出し不安は不安のまま恐れは恐れのままシナリオも無くあたかも
トイレで用を足した後水と一緒に流すように忘却の向こうに無理やり押し出して
次の章に移動しまた新たな訳の判らない物語が始まり一晩中眼が覚めるまで
繰り返す。勿論そんな映像を一切観るコトが無く深い眠りで時が流れない間が
在りしっかり疲労を癒やしてくれる。でないと睡眠でストレスが蓄積されていまう

夢にはストーリーが有ってもシナリオが無い。何時でも外的要因と自己の判断の
葛藤で勝手に湧いてくる。でもこれは夢の中に限ったコトではなく目覚めている
間も同じではないだろうか?シナリオが在るのは現実の中で造られた劇や映画の
偽現実だけで実際の現実にシナリオは無い、為政者が造り積み重ねてきた法に
洗脳され自らコントロールされる権利を他人に差し出し元来束縛のない世の中を
大リーグボール養成ギプスを装着して辛くて苦しい道を重い足取りで歩いている

観察しよう現実の中の自分を。本当の自分を生きれているか?観察しようその
感情の原因を。本当の自分が感じでいるのか?観察しよう!自分の行動を。為
すべきコトが出来ているか?観察しよう!自分の心を。いつも安らかで在るか?
この世は自分が創った理由じゃない!だから思い通りにならないのは当たり前
でもこの世に生まれてきた以上必ず自分だけの役割がある。それは誰でも一緒
自分を全うすればこの世での責任は果たせる!他人に押し付けられるコトは無い

この世は自分が造った理由じゃないけれど生き方の選択権は持っているし責任は
従いてくる自分らしい選択をしてこの世というオーケストラに参じ自分の音を奏でて
初めてこの世と自分が完成する。夢の中の自分を客観的視点で眺めるように現実
の自分も客観的に観察できたらゲームのキャラクターの様にコントロール出来る筈
そもそも自分が自分を制御出来ないコトの方がおかしい!でも世間は他人を制御
したい人ばかり。その中で他人では無く自分を管理出来る人だけが幸せを掴む・・・