本当にそんな史実が在ったのかどうか確かめる術もなく確認出来たところで
その史実の内容が否定も肯定もあまり意味を為さないコトが残る場合がある。
文字にしろ伝言にしろ受けたモノが共感共振共鳴しない限り後世に残そうと
はされないでしょう。そこには間違いなく真理が包含されていて真理そのモノ
が意志を持ち伝えるメッセージは譬え燃やされても途切れてもいつの間にか
再生再構築されてその波動を受け繋がるモノに届き何時までも拡散して行く・

仏陀が何故仏陀(目覚めた人)と称されるのか?彼が生きた約2500年前の
インドの歴史は古くその頃既に真理を説く教祖は沢山生まれては淘汰されて
いた。ゴウタマ・シッダールタも修行中は当然そんな教祖に師事して学び悟り
を重ねて行ったコトでしょう。でも自ら求める問いに満足できる解答が得られず
終には命懸けの苦行で九死に一生を得てその先にも答えが無いコトを悟って
静かに大木の木陰で瞑想に耽り全ての煩悩を捨て去り無我の境地に入った。

自我を捨て去って残るモノ、老いても朽ちず病に蝕まればれるコトも無い本来
の自分即ち魂。何處か遠い処で無く全く難しくも無く苦しくも辛くも無い境地
人として生きる有限の身体と何時も重なり合い経験を積む当たり前の有るが儘
の波動には自他の境界は無く過去も未来も隔たりなく同時に存在する。だから
ゴウタマ・シッダールタは彼自身であるだけで既に目覚めていて全ての解答と
共に在る。彼が経験した智慧を輪に繋げ此の世の全てのしがらみから解脱した・

彼がこの世に生れた時、アシタ仙人が家に残れば転輪聖王となり出家すれば
覚めて仏陀となるだろうと予言したそうです。本当か作り話か知らないけれど・
結局彼は出家するコトを選択した。これは精神(波動エネルギー)世界では時
は固定されているので生まれた時からと言うより生まれる前から決まっていた
のです。彼が選択したからその現実を引き寄せたのです。精神世界では過去
も未来も同時に有ります。なんだ俺目覚めてるじゃん!を観て覚めたのです・

仏陀はいろんな大木の木陰で真理の不思議を体験し一人楽しんだそうです。
でもこれをどのように衆生に説けば伝えるコトが出来るのだ?と悩んだりもした
そうです。この世のモノ(視えるモノ、聴こえるモノ、味わえるモノ、嗅げるモノ

、触れるモノに実体は無く仮初め存在だと・・それだけでは無くこの世の全てが
・・2500年後の未来ならいざ知らず、全ての事象が望みの縁と縺れの起こり
の絡み合いで恰も実在している様に感じるだけの夢幻の映像の世界だなんて・・

仏陀もキリストもマホメットも身体は病気にもなり切れば傷ついて血が流れる
当たり前の人間でした。しかし精神は神であり信仰を集めて神様に昇格した
のです。そういう意味では誰だって神なのです。信仰を集めれば現人神にも
成れるのです。但し煩悩=思い込みを捨て去る条件が付きます。気付くコトは
そんなに難しくはありません。ある程度の神通力は誰にでも備わっています
魂で生きるコトが出来たら制約や束縛から解放され自在を得るコトも可能です

マトリックスのネロのように放たれた弾丸を避ける必要も無くなるのです・・・・
ただ自分に執着せず魂の自分で在りさえすれば・・・・・・・