雨が降れば中止ですが平日約5Kmのウォーキングがルーティンに
なっています。途中公園でストレッチ運動をこなす為、大凡1時間を
掛けて無理のないコースにしています。時折気まぐれでコースを少し
代えたりもしますが毎朝自宅から出て自宅に戻るのは変わりません。
道すがら脇に群生しているすすきの穂波が年にほんの一時期だけ
風に吹かれて銀色に輝くウェーブを見せてくれます。
冬の訪れと共にその色が枯葉色に変わった枯れすすきはなんとも
貧相で飛んでくるカラスに鳴かれてとても可哀想な姿勢になります。
でも今年は枯れる前にきれいに刈り取られ次の夏まで雲隠れです。
出発点とゴールが同じなら幾らくねくねカクカク曲がっても必ず東西
南北プラスマイナスが同じ距離消化されて原点に戻ります。これは
二次元の地図上の話で厳密に言うと現実は異なります。
人はコースを歩いているだけですが、その間にも地球は自転して
太陽の周りを公転しながら銀河系として回転したり銀河団としての
運動がありその上も恐らく動きが有る筈です。大規模になる程高速
運動になり家を出たら最後原点に戻るコトは絶対に出来ません。
家にじっとしていても他動的に多重螺旋起動に突き動かされている
理由で刹那の時間ですら同じ所に留まるコトは適わないのです。
戻って来る自宅も正確に表現すると1時間前とはほんの少しだけ
変化していますし、戻ってきた自分も1時間分老化し1時間どころか
1秒前の自分ですらないのです。人の細胞も新陳代謝で入れ替わ
り構成要素もモノである以上刹那に生成と生滅の理から逃れるコト
は不可能なのです。でも人は自分はずっと自分だと思っています。
自分と云うモノはこの世を渡る為の仮初のアンカーなのです。
自分と云う錨は遺伝子の中に下ろされ蓄積された膨大なデータから
言い訳のつく情報を選び出し現実の辻褄合わせを都度繰り返します
都合が悪ければ事実をひん曲げ、利益と思えればしつこく忘れない
結局上手に世渡りするのをサポートするのが自分で自分ソノモノに
下ろしている場合は時と共に上手く運ぶのですが、拘って過去に下り
た儘だったり他人に頼ってしまった場合、人生が狂いだします。
何処に歩いて征こうが選択の自由が在ります、ただ決して後戻りは
出来ません元の原点には戻れないのです。ただどんなに不規則に
天邪鬼に道を選んでもトータルではプラスマイナスは同じなのです。
幾ら沢山所有しても最後には手放し幾ら権力を振りかざしても何時は
落ちぶれるのです。もしどう考えても自分にプラスが不足していると
想うなら取り戻しに行かなくてはなりません。
目に見えるモノは紛失したり盗られたりする可能性は在りますが
眼に観えないモノは失いようがないのです、この世の殆どは目に
出来ないコトで成り立っています。だからしっかり貴方の幸運は
準備されているのです。どういう形で現実化しても貴方が貴方で
ある限り自分の確実な処にアンカーを下ろし行くコトが出来るなら
大自然のサイクルは必ず貴方にも巡って来るのです・・・・・