人は何故待つのでしょうか?そして何を待っているのでしょうか?
待てば必ず変化が訪れるでしょう・・でもその変化は何時でも裏表
オセロゲームの石の様に白黒・陰陽・善悪等々同時にやって来ます。
そして人はどちらかを選択します。自分が先手でも後手でも状況に
合わせ次の一手を打ちます。選択が上手く運ぶ場合もあり、時には
窮地に追い込まれる羽目にもなりますし大どんでん返しも起こります。
サーファーは波を待ちます。波が立つポイントまでパドリングで向かい
自分が気に入った波が立ち始めるまで待ち、来ると一気に速度を合わせ
ボードに立ち上がり波のパワーに押して貰いながらバランスを制御し
波を乗りこなします。何度も何度も失敗を繰り返し、何時か波をモノに
出来るようになります。そして次の波を目指し再び沖に漕ぎ出します。
波は海と空の境界でうねるのでそこに居なければ波には乗れません。
寄せては返す波が押し合って干渉し時折大きなうねりも起きチューブに
巻込んだりもします。波のパイプラインを潜る時の感動はドーパミン全開で
その後波にもみくちゃにされても再びサーファー達を命がけで大波に
向かわす中毒性が有るのかも知れません。待ってるだけでは乗れません
無駄なく鍛えられた身体、何より大切なモノは勇気に裏付けされた不屈の
気構えを持ってこそ未来を切り開く真の侍となり大事なモノを守れます。
波に漂いながら変化を待ち気を保ちながら機に乗じバランスをとりながら
足元を操り感動を味わって次に向う。誰が知らなくても波立つ空と海の
狭間に自らの身を任せ選んだ波のうねりと一体となる、選択に善悪はなく
ただ結果だけが後に続くが繰り返す挑戦が何時か感動の発信源となる。
人は外界に向かって変化を待ちます。やって来た変化が気に入らなければ
やり過ごすコトも出来ますが変化は選べても止めるコトは叶いません。
外界の変化を待つのは未来を待つコトになりますが内界に変化を求める
のは現在進行形です。外界が大宇宙なら内界は小宇宙でどちらも無限の
可能性を秘めています。外に答えを待つコトは何時何処から来るか何の
保証もなく予想はついても不確実さに翻弄されるコトに繋がります。しかし
内界に答えを持つコトはどんなシチュエーションであっても今ココに確実に
回答が存在します。待つが悪く持つが善いとかの話ではありません。
自分の内側に答えを求めるコトは如何なる時にも自分軸で自分に合致し
自分だけの回答となり誰からも否定されないし誰もジャッジ出来ません。
誰かの思惑に振り回されるコトも無く外界を気にする必要も消え去ります
でも探し当てた回答が真理なら外界にも通用し、外に変化をもたらします。
内も外も多次元に織り込められたこの世であることに違いは無いからです。
人は例外なく外と内の狭間の存在です。ココは近いと云う距離も失います。
ゴーダマシッダールタもナザレのイエスもムハンマドも外界の価値観に背を
向けて内なる世界を探求し一人瞑想の中、真理に出会いこの世の全てを悟り
時を超えた存在と成りました。今混迷するこの世界には人一人ひとりの内に
在る真理の開放が必須なのです。多種多様の真理が外界を再創造します。
誰もがマっていますが誰でもモっているのです。そして誰もが自分と世界を
マモっているのです。外を変えるには内周りが一番近道なのです・・・・・