成長盛りの子供の上靴はちょうどピッタリのモノを準備するとすぐに
キツくなるので通常大きめのサイズから履かせて少しでも長く使える
様に調整します。でも余り大きすぎるとチョッとした弾みで脱げてしまい
本来足を護る筈が怪我を呼ぶという本末転倒なリスクが出て来ます。

 エビやカニ等の甲殻類は自身の殻が窮屈になると脱皮を繰り返して
成長に合わせますが彼らに取っては脱皮はリスクが伴い何時も成功
するとは限りませんし脱皮直後の柔らかい状態は捕食者の格好の
ご馳走になったりして命を掛けたリスクと向き合います。

 ヤドカリはカタツムリの様な成長に合わせて大きくなる便利な殻を
与えられていないので自分の身を守る殻を外に求め借りて来ます。
具合の善さそうな巻き貝の抜け殻を見つけると、以前のヤドは捨て
去り引っ越しを繰り返し、少々重かったり歪でも贅沢は言いません。

 成長にはリスクが伴います。毛皮の持たない人は身体を護るのに
衣服を着ます寒気ければ厚着、暑ければ薄着で調整しますが精神
を守る担当は自分だけの遺伝子に記憶された膨大な体験データを
介して培った自分ファーストのエゴ即ち我が担います。

 精神は我という名の鎧を装着していると言えます。しかしその鎧も
精神の成長や肉体の老化、時代の変化など対外的変容に基因して
精神を護る筈が逆に傷つけてしまったり、古いバージョンの思考が
通用しなくなっているのに頑なにやり方を固持し苦しみを生みます。

 魂と人生が火傷を負う前にヤドカリが窮屈になった殻を家移りする
様に、いくら大事にして一緒に苦労を重ねてきたある意味頼りにして
来た愛着の在るエゴと言えど綺麗サッパリ捨て去って時代に即した
新バージョンのエゴ鎧にアップデートする必要に迫られます。

 エゴは自分の主人ではありませんし自分そのモノでもありません。
本当の自分は精神であり魂なのです。魂は波動なので単体では時の
流れを体験できません。何時かは老いさらばえて朽ちる宿命の肉体と
共にある時のみ人生を経験できます。そしてエゴは消耗品なのです。

 人は人生の終焉を迎えあの世に旅立つ時、身体と魂の別離の時
魂は一生の経験を波動に換えて高次元に移行しますが身体は持って
往けません。唯一残す方法は脈々と受け継がれて来た膨大な情報が
詰っている遺伝子に体験の記録を上書きして子孫に託すのみです。

 両親から半分ずつ承けた遺伝子に刻まれた情報に基因したエゴは
元々借り物なのです。よしんば新しく拵たとしてもいずれは返さなくては
ならない時が訪れますし、大切にし続けるコトは叶いませんし、睡眠中
見る夢は忘れる為に観ますがエゴは棄てる為に持ちます。

 我に執着せず棄て去る時、人は初めて本当の自分を見付けるコトが
出来ます。人は全てを本当の自分即ち魂に委ねるコトで解脱し、苦しみ
から開放され自在を得ます。人生行き詰まった時がエゴの捨て時であり
交換時期なのです。感謝してサヨナラしましょう・・・・・