宇宙空間はスカスカで平均すれば1立法メートル当たり水素原子1個程度だと何かで読んだ記憶があります。物質は究極的には波動エネルギーが様々なレベルの場に嵌まり込むと云うか収束しているというか粒子状になったモノが相互作用して陽子や中性子を構成し、その周囲を電子が数段階の場に帯電して取り囲み原子核を取り巻く原子雲の最も外側の自由電子の±の数のパターンから性質の異なる原子となり、隣の原子
と作用共有するコトで分子に発展して行きます。

 量子もつれという、かのアインシュタインをして奇妙な結果に納得せず理論が間違っていると言わしめた粒子同士の強い絡み合いの現象のコトです。現在では実験で正しいことが示されています。粒子間にもつれ関係が出来てしまうと、いくら遠く離れてもその片方の選択する逆の選択をする関係性が保たれます。この関係性には2つの粒子間だけでなく3つの粒子間でももつれ関係になるようで、それ以上も当然無いとは言えませんと云うよりこの世の全ての粒子は複雑怪奇にもつれあって存在たらしめているのでは?と思えてしまえます。

 夜空に打ち上げられた花火の美しい色取り取りの閃光の波動は、それを眺める全ての人の目の奥の網膜の受光体を振動させ様々な波長の光の情報として脳に認識されます。これは観ている人全ての目の中で作用しており、決して1対1の関係では有りません、そして眼に飛び込んでくる光波は花火師が火薬玉に仕込んだ何種類もの元素の炎色反応の数だけ存在し、しかも決して一点からでは無い広範囲からの発光源の筈です。時間差を考慮すれば周りのあらゆる方向から反射されたり弱まったりしたモノまで、轟音が鼓膜と身体を打つまで届きます。

 お母さんに産んでもらい自分で肺呼吸出来るまで人は誰でも普通は胎内で育ちます。この時は母体と胎児は言わずもがな相互関係にあります。胎児が必要な栄養素を含む食べ物を母親は無性に食べたくなったり、母親が飲酒すると胎児も酔っ払います。でも母親と胎児は直接血管や神経で繋がっている訳ではありません。あくまで
母親は母親、胎児は胎児の独立した人間です。勿論生命の危機的状況が訪れれば危機を共有しますが・・・胎児は母親の遺伝子から選択した半分、もう半分は父親の遺伝子から選択して自らの遺伝子を持ちます。

 兄弟は選択の仕方が少しずつ違います。母親と父親は縁あって夫婦となり縁あって子供を授かります。この縁というものは不思議なモノで夫婦別々のそれまでの人生の動線を辿るととても偶然とは思えない引き寄せがあり人はそれを赤い糸と表現したりもします。でも縁はたった一人同士という方が珍しく、通常幾つかの縁を経験して
巡り合いと別離を学びます。周りの人と干渉したりされたり、行ったことも無いような国の影響で景気が変動したり、遠い過去のコトを引きずったり、未だ見ぬ未来のコトを心配したり、人は全ての人との関係の中で生きています。

 人だけではなくこの世の全ては相互関係の干渉の結果存在を維持しており、そしてその存在は常に変化し、一つとして同じモノも無ければ違うモノも無いし、一つとして生きているモノも無ければ死んでいるモノも無い。全ては縦横無尽の波動干渉の”もつれ”の網の結び目に絡みつくほんの瞬間の連続なのかも知れません・・・・・
 
 干渉は波の交わりで波の出会いです。波が出会えば打ち消し合うか強め合うかのどちらかです、縁も同じです、もつれは一度出会った波同士が干渉を維持する現象です・・・その縁の結び目が解けるまで・・・・・・・