私達は例外なく父母から遺伝子を受けた時から自分という肉体と一緒に
自らの時間を刻み始めます。肉体が老いさらばえて朽ちてバラバラになる
まで時間の中で生きるコトになります。身体の拘束から脱却出来たなら
そこでは時間は意味を為さなくなります。精神体(魂)には過去や未来は無く
全ての時間は現在進行系の中に集約され、ただ時間の中にいた時の経験
の記憶だけが追加されて征くのです。

 この世のありとあらゆる存在は私達と同じ様に原因があって生じ変化に
抗いながら維持され繰り返し押し寄せる波動に打ち砕かれながら形を換え
元のエネルギーに滅しようとします。そんな無限に絡まり合う時の間に私達は
取り込み可能なモノを吸収しては手放し、自我という常無きを維持します。
時はモノと同時に在り、モノの数だけ時間も存在するコトになり、モノには波動
所謂エネルギーが集約粒子化した一形態である間のみ時が流れるのです。

 空間が振動して波動が波立ち、その波がスピンして丸められて粒となり
その素粒子が引き合って陽子や中性子を構築しイオンの量だけ電子を纏い
様々な性質の原子となりその原子同士が引きあって分子となりその分子が
規則正しく折り畳まれて色々なタンパク質を造り、細胞が集まり生物の器と
成るのですがそのゆりかごに魂がある間のみ生物となります。これは生命の
プロセスですが、山も川も街も国も大陸も月も星も銀河も実は同じです。

 地球は生命のゆりかごと言う喩えがありました。地球は無数の魂を抱えて
スピンしています。だから地球は生きているのです。その無数の魂は地球と
伴に時が流れ、海も山も川も生命を育み地上で生きているのです。太陽に
にも命は存在しています。太陽や月がの放出する波動は善きも悪きも生命に
必要不可欠であり、ある種生命の源と言えます。その徳の恩恵を受けた命は
その波動と共振して時を刻んでいます。共振しているから生きているのです・・・

 現在進行系に無駄なものは一切ありません。あるとすればそれは既に過去の
産物か未だ見ぬ未来への不安なのです。進行系で望む未来へ意識を集中し
万能の可能性の中から必要な波動と共振共鳴しましょう・・・・・