訳あってしばらく行けなかった朝のウォーキングに行ってきました。
時間が少し遅れると急に気温が上昇するので一時間ほど前倒しで出発。
天気は曇り、遠くの空の雲の切れ間から青空が覗いているので雨には
ならない空模様。でも夜の間に少し降ったみたいで公園のベンチは濡れて
います。藤棚の下の一番濡れていない座面を持参のキッチンペーパーで
拭き取り、腰掛けて足のストレッチ開始です。

 腹筋台は濡れがひどくとても拭き取り効果が見込めないので今日はパス。
その後、柔軟体操から上半身各所のストレッチをこなしウォーキング再開。
歩いている間は色んなコトが頭の中を過ります。また雑草が伸びで原っぱの
植物の栄枯衰退というか勢力争いの経過が景色として眼に映り、一時も止まる
コトの無い自然の変化に自らも溶け込んでほんの瞬間一体なれた感じになり
そのうち刈り込まれるコトを知りつつも何故か得をした気分です。

 コースの最も東の地点でお天道様に合掌、別に何をお願いするコトでもなく
今日も元気でほんの少し近づけたコトに感謝し、しっかり深呼吸を繰り返し
太陽の徳を身体いっぱいタダで浴びさせて戴き最後にお礼の合掌。でも今日は
曇り空、お陽様が隠れて見えません。普通は雲を透き通し少し明るい処が
有るのですがそれも無し、でもすっかり夜が明けて世間は明るいのですから
紛れもなくその辺りにおわしあそばされている筈。一切の眩しさを抑えて。

 見えなくても確実に存在するモノがあります。と言うより眼に見えるモノ
なんてほんの一部、この世はほとんど人の眼に見えないモノで構成されています。
視えなくても感動するコトはできるし、もっと突っ込んで表現してしまえば
意識もせず行ったり来たり往来してしまっているのです。もちろん観えるモノが
真実では無いと言う気はありませんが見えないモノも真実なのです。我々は
太陽と月と星々を空に仰ぐ地上に生きています。

 存在自体の質量の為、大地の重力に捕われ容易には飛べないけれど、鳥は
飛べるし、人だって飛行機を造って飛翔可能です。意志の力と努力が不可能を
可能にしてきました、私達はそもそも何事にも囚われるコトのない多次元世界の
住人なのです。ただ視えないから信じられず、見えないから恐れ、観えないから
無いモノとして考えてきた思い込みが身体を重いモノに感じさせ、自ら両手
両足を縛って自在であるべき世界を不自由に感じているだけなのです。

 厚い雲に遮られて眼にするコトは叶わなくても必ずお日様はそこに有ります。
目に見えるモノが真実だと固執する信念で過去も未来も現在も不自由な闇にせず
明るい方を見て感じて自分を信じ疑わず、他人に惑わされず、無駄な恐れを捨て
眼に観えない全てと一体になる確固たる覚悟で自在になり幸せを選択しましょう。

 高次元に思い描く幸せを自らに投影し共振させ現実化しましょう・・・・・