長らく音信不通の親戚とか知り合いの面影が脳裏に
浮かぶコトはありませんか? 私は稀にそんな経験を
します。そんな時(あれ!あの人亡くなったのかな?)
後日、廻り廻ってやはりその頃亡くなっていたコトを
知ったりします。
俗に言う虫の知らせというか、亡くなる人が束縛を
解かれ自由になった精神体が様子を見に来るというか
特にお盆や法事の前には両親等の気を頻繁に感じます。
でも遠い親戚が来てくれるのは懐かしい気持ちには
なるのですが何故わざわざ私の処へ?
私の処に来ても別に何もしてあげるコトも無いし
貴方には私より近しい行くべき処が在るでしょう!と
知らぬ間に簡単な会話に発展します。別に何かをして
欲しくて来た訳でもなく、ただ気になったコトもあるが
何だか君がぼやっと光っていて気付き易いんだよ!と
もっと眩しくギラギラ光ってるのも有るんだが
そちらは近寄り難くって・・・まぁ善い処に旅立って
下さい・・・とお別れの挨拶を・・何故私は光って
いるのだろう?しかもぼやっと・私には蓄光物質でも
含まれているのだろうか・・?
確かに神様参りも好きだしお墓参りも気持ちがいい
法事とかも務めているので知らぬ間に眼には観えない
何かを授かっている可能性は無きにしもあらずですが
そんな私でもぼやっとほんの小さな道しるべに成って
いるのならそれはそれでまぁいいか!・・・
この世には眼に視えるモノと観えないモノがあり
見えないモノが断然多い・・見えないモノの最たるは
運です。その運をモノにする為には何が必要でしょう?
答えは人それぞれで変わり、意識するとかわされるが
無意識の行動はかわされようがありません。何故なら
幸運悪運のどちらにも決まっていないからです・・・