昔、木工所にアルバイトで働いていたコトが有ったんですが、オーダーメイドの什器は名のあるブランドのブティックにも設置されるようないわば一流品で制作に携わる工場はブランド直営部門の審査が入るような小規模精鋭の工場でした。モノづくりは好きだったんですが経験の無い私は当然右も左も解らないので見習いとして出来るコトから始め特に集塵機の清掃や体力のみを消費する力作業、完成製品の清掃、重いインパクトドライバーで永遠とビスを打ち続ける単純作業、完成品の配達等雑用全般を仕事として与えられました。

 そんな作業の合間に師匠に当たる80歳を超えてもいまだ現役の大先輩から少しずつ少しづつ材の取り方その順番、材を完成品に組み付ける過程の寸法計算、機械の使い方、ビスや金具の選択、カンナ刃の研ぎ方等など・・あまりにも情報量の多いプロセスと情報を頭と身体に叩き込まないと半人前の作業もこなせません・・・そう此処は職人の世界。仕事を任せられる職人はこの道30年~50年のキャリア、師匠に至っては65年以上の職歴の面々。職人至上主義の世界で職人のみが人権を持っています。

 丁稚見習いの私は何をしても先ず失敗から始めます。失敗しなければ失敗するまで
同じ作業を繰り返しやらされ失敗すると失敗したと叱られます。そんな理不尽な~とも思えますが彼らも恐らく同じように𠮟られ怒られ悔しい思いをしながら耐えてやり直し反省して何時しか技術をモノにし一人前の職人として道を極めたのでしょう。でも失敗しなくなる訳でも有りません。私の師匠はお年を召されていた原因もあるでしょうがしばしば失敗していました、ある時は弟子である私の責任にしたりもされましたが失敗を無いモノにする技術には天才的なモノがありました。

 人である以上失敗しないなんて有り得ません、如何に失敗を少なくするかも職人の
腕でしょうが失敗を誤魔化す技術も商品を造って売る職人には必用なのです。答えの
無い芸術品を創造しているならば妥協は赦されないでしょうが売らなければおまんま
は食べれないのです。でも毎日毎日朝から夕方まで叱られ続ければ人間はトラウマに
なります。一年そこそこで完璧にこなせる方が異常であり貴方達も失敗するのにそこまでマウントを取らなくてもとも思いましたが、その工場で一番若く一番偉い社長の一人息子になんだか憂さ晴らしのサンドバッグにされているようで・・

 朝の早くから何日も前の失敗をぶり返され、叱りはじめ挙げ句の果には貴方は自分が失敗ばかり繰り返すダメな人間だと考えろと・・師匠はこいつは職人に出来ると庇ってくれましたが、ある時同じ失敗を4度繰り返してしまい自分ってこの仕事に向いていないのか思っていたところに、その息子からあなたは向いていないと宣言されてしまいその意図を垣間見えてしまったのです。きつい仕事とか汚い仕事とか与えられた仕事は自分なりに分別なくこなしてきたつもりでしたが、息子の言葉が社長のコントロール下にあるように思えてモチベーションが下がってしまいました。

 私はあなたの痰壺ではありません。自分に嘘をついてまで仕事はしたくないので一度考えさせて下さいと伝え、私は私が入社してから会社を去って行った職人さんと雑用さんが辞める時に残して行った言葉と若い元気な新人が貴方と大喧嘩してやめた経緯などを聞かされていますと伝えると即座に2階の社長に相談しに上がり降りてきて言うにはあの職人(5年はいた)はとんでもなくヤバイ人間で辞めて貰うように仕向けたとか言い訳に・・でも私も私なりに人を判断します。この職人さんは一流で後進の指導も率先して技術を教え年配の雑用さんにも労ってあげなければと情のある人でした。

 たとえ過去に少々やんちゃしていた時期があったとしても現在一流の仕事をし会社の売上に貢献している職人が全く上らない手当の昇給を談判しているのに残業を増やすコトで手当を増やせとか昇給になっていない方法が気に食わなければ構わんよとか社長の内面を聞かされたような言葉を残してくれました。雑用の人もほぼ同じ手当の
話と息子に対する恨みつらみの言葉、この人にもイジメに近いしごかれ方をしましたが技術も教わりました。会社のためにとても良く働く人でしたが私に自分はこの会社に入り5年を超えたが多分給料はお前と同じだとの打ち明け・・

 みんなの前で会社に対する希望を言いなさいというから給料を上げてくださいと
談判したのに無慈悲に却下。気に入らなければもういいよの社長の一言に退社を決意
周囲の引き止めにも動じず去って行きました。あれこれ考えるとこの会社でいくら
頑張っても認められるコトは無いし報われるコトも無いとなるのは自然の流れで
おまけに癇癪持ちのような一人息子のマウントに耐えながら雑用の人を選択しても
先が見えてしまいます。私もモノ造りには未練が有りましたが社長に辞意を・・
折角雇って頂きましたが一月後に辞めますと・・お世話になりました・・

 その時社長は斜め下から伺うような表情で「どこに行っても同じだよ~」最後の
お言葉。私は「私も社長の仰る通りだと考えますのでもう金輪際他人に雇われるコトはしません」そして私は(誰が来ても同じだよ~)と心のなかで訴えていました。

 どこに転職しても、たとえホームワークを選択しても社長の言うように同じです
自分に受ける部分があるからその部分にマウントしてくる存在は無くなりません。手を換え品を変えてそのコトに気付くまで試練は繰り返されます。でもどうせ同じ様な
試練に見舞われるなら努力した報いは自分自身に帰って来るように選択する自由は
在ります。言うは易く行うは難いところは有りますが人は自分の為に自分を生きます。自分の為に生きるコトを極めればそれは他人の為にもなるのです・・・

 人は自分が固執する衣を纏い周囲の凸凹を引きずりながら世渡りをします。 でも季節毎に纏う衣は着替えないと寒く暑く、周囲の凸凹も自分の一部だと認識しないと何時までも同じ場所に留まり同じ痛みを味わうコトになります。どこに行っても同じだけれど答えは全部自分の中に準備されているのです。どこに行っても同じだけれどどこに行っても幸せは味わう選択は可能なのです・・・・・

 

 他人に雇われなくたって生きていけるし収入も得られます。自分は天に雇われていると嘯けばOKです・・・・・