意図するコトとしないコト。関係無しにコトは展開します。
意図したコトがきっかけに成っていたとしても意図したコトと
合っていてもそれは偶然に重なっただけに過ぎないのです。
だから切り離して認識する必要が生じます。私達は何時如何なる
座標でも新しい体験に初めて出会う繰り返しを体験します、
経験を判断材料に活用したい私達はどうにかして自らの経験則
に当て嵌めようと事象をふりわける習慣に流されますが、本当は
ほんの束の間の経験なんて何の参考にも何の指針にも成らないコトを
知りつつ容易い方法にしがみつきたい横着かつ経験則に基づく指針
決定の簡素化というある意味言い訳じみた理屈と自らの執着との
妥協点の葛藤の中で選択の方向性を得ます。
所詮私達が囚われている顕在意識は潜在意識の大海原に漂う
小舟でしかありません。でもその小舟も繰り返し繰り返し操作に
集中すると少しずつ制御出来るようになります。潜在意識は容易く
自分の想い通りになってくれませんが自分の仇でも敵でもありません
隠れているだけで自分自身なのです。ただ顕在意識と違うのは
潜在意識に時間の感覚は無く善悪の分別もなく変化のみを齎します。
変化を引き寄せてきても選択はしません。選択はあくまで私達の
仕事です。善い変化にするか悪い変化にするかは私達の観方に拠り、
選択して結果をモノにする為に確固たる意志と信念に基づくビジョンの
見極めと最後まで諦めずに集中仕切るコトが必要になってきます。
それは苦行ではありませんし苦行にしてはいけません。ただ為すコトを
成し、為すべからずを成さないコト。これが全てです。
アーチストは美しい作品をビジジョンのキャンパスに想い描いて
創作に励みます。決して失敗作を描いたりはしないのに、失敗作を
創らないアーチストもいません。集中し切ることは簡単ではありませんが
何度も何度も繰り返された修行の結果、道は何時か極まります。素人目
では素晴らしい作品でも本人は納得出来ないコトもあるでしょう。
生活があるので其の儘、市場に流れるコトもあるでしょう。
そしてまた新しい創作が始まります。納得のゆく完璧を目指して
集中するコトは精神的にも大変な作業でしょうが、彼らはそれを
楽しみます。創作が性に合っていて苦痛ではないのです。好きこそ
モノの上手なれと言われるように自分が好きで合っているコトを
仕事にしていて、それで生活が出来て成功も目指せるなら素晴らしい
コトです。モノ創りが苦痛ならそれはその人の仕事ではありません。
今日もどこかで新しいテキストドキュメントに飛び込んでくる
パケットデータが言葉に変換され並べられ文章に綴られます。その
文章が何処かの誰かの眼に入り共感して新たな発振に繋がると想えば
書かずには居れないし楽しいじゃないですか・・・何時か自在に・・
自分の大好きな道を極めましょう・・・・・