私達が人としてこの世に生を受ける時、この世は様々な要因が折り重なって既に
存在しています。地域や国の悠久の歴史と破壊と創生の中、普通は両親が築いた
人生の旅の途中の家庭に産まれて来るのですが、その家庭すら選ぶ事ができても
自分のモノでは無いのです。両親にしたって自分だけのモノには成り得ないので
互いに譲り合うコトが出来なければ、想い通りにならず苦悩するコトになります。
その家庭に新しく参加する命は最初は自分で生きるコトも儘ならず。普通両親の
献身的な力添えで生かされ育まれます。

 ああしろこうしろと指示する訳でも無いのにお腹が減るとオギャーと泣けば
ミルクが与えられ、おむつが汚れればオギャーと泣いて新しいモノと替えて貰え
ます。母親のお腹に寄生していた時はオギャーと泣くコトも無くまるで母親を
遠隔操作するが如く自分に必要な栄養素の含まれる食材を摂取するよう誘導し
排泄物も周囲の羊水に垂れ流せば母親の生理機能を浄化装置として活用弱毒化
します。一部は自らもフィルターとなるそうですがやはり最終的には母親頼りです。

 お腹にいる時は全て母親にお任せで自在だったのに生まれ出てからはいちいち
泣くという手間の掛かる不自由が始まります。成長するに従い家庭のルールや
現実との間で自在は潜在領域に押しやられ、自我が目覚める頃には徐々に思い通りに
成らないコトに苛立ち反抗し駄々を捏ねるようになります。そこで私達は2つの
選択に迫られます。一つは環境に合わせて妥協するか、一つは一切の妥協はせず
我を貫くか、実際には極端に片方の選択は有り得ないのですが・・

 環境に合わせて妥協すれば社会のシステムに組み込まれて皆と同じという
安心感と最低生存権を得られ、それなりの人生を送るコトができるでしょう・・

 妥協を拒み我道を歩む選択をすれば周囲から変人扱いを受け、ある時は疎外され
数多くの試練に見舞われ、苦しみ悩み、その重圧に押し潰されるリスクも有ります。

 勿論2つの選択に垣根は無く、その割合を混ぜ込んだレシピは自由なのですが、
前者は誰かの為の人生、後者は自分の為の人生、ただ既に出来上がっている世界に
少しでも自分と言うカラーを塗りたいなら後者の選択も大事で、運良く自分色の
領域を描けたなら、そこでは生まれる前の様に自在を得るコトでしょう・・

 身体に新陳代謝の限界が訪れ、サヨナラの時が来ても、せめて後悔が残らない
人生の選択が出きるのなら素晴らしいと思いませんか?・・・・・