商売を生業とする人は基本的に3つしかありません。1つ目は
何を売るか?2つ目は幾らで買うか?3つ目は幾らで売るか?
1つ目の商品についてはモノであったり情報であったり、ある時は
人材であったり,お金そのモノの場合もあります。商品の善い悪いは
売り手と買い手の欲と価値観と満足度に左右される為、確定できる
モノではありません。商材の選択と売買の成立までが自分の仕事
となります。前準備や保守に纏わるサービスもその中に集約されます。
幾ら一般常識で価値が認められていても、猫に小判、豚に真珠では
取引は成立しませんし、幾ら価値が有るモノと言っても相場とかけ離れた
価格では売手と買手のどちらかが詐欺師の称号を享受するコトになります。
商品の価値を見極める確かな眼も必要ですが、過度に商品を知りすぎても
モノは売れにくくなります。ユダヤの商法では自分が嫌いなモノを売れと
言われるそうです、人は好きなモノには執着心が移り手離れが悪くなる
からです。実際マックの創業者はハンバーガーが嫌いだったそうです。
善いモノを善いと信じて売るとよく売れます、悪いモノを悪いと判って
いながら売ってもよく売れてしまいます。善いモノを悪いと思って安く
売ってしまうと買手は喜びますが売手は馬鹿にされます。悪いモノを
善いモノと偽って売ってしまうと後に避難され最悪御用となります。
商売人は善い商品を何かとケチを付け値切って仕入れ、綺麗に磨いて
キメセリフのリボンを添えて高く売ろうとします。売れるのなら幾ら
高く売っても、買えるものなら幾ら安く叩いても罪に問われません。
安く仕入れて高く売り抜ければ最も利ざやが抜ける商いに成るのですが
そうそうそんな商材も手に入れるコトは容易ではありません。通常誰かが
掴んで利権を離そうとはしませんし、資本力にモノを言わせて大量に商われ
てしまうと、力のない人は競争になりません。米櫃を突く恐れのある新興
勢力は徹底的に潰されますしある時は消されてしまう可能性もあります。
お金と言う情報は非常に重たく周囲に引力を纏い全てのモノを引き寄せます。
そして近くにいるだけで執着から脱却出来にくくなります。
人はこのお金と言う情報を手に入れる為に仕事をします。ある時はスキル、
ある時は体力、時間とセットで提供し対価を得ます。能力のある人は掛ける
時間を極力少なく仕事が出来るようになります。そうでない人は人の時間を
拝借したり奪おうとします。ここで自分の仕事の範疇を超えて人の分まで
してあげたりすると、2つの問題が発生します。一つは自分軸がずらされる。
もう一つはコソ泥を育ててしまう。助けてあげたのに結局アダで返される
結果になるので他人の分の仕事は基本的にしては駄目なのです。
人の人生の時間は有限です。宇宙の悠久の時間に比べると瞬きする間も
無い程短いのです、その間にすべきコトを為すには親子と言えど時間の融通は
効かないのです。自分さえ善ければ良いというのではありません。眼の前の
仕事が本当に自分の仕事かどうかの見極めが重要なのです。自分の仕事で
無ければ手を染めると自分にも相手にも好くないのです。助け合いを否定
しているのではありません、その助けが自分の仕事なら助けるべきですし、
自分の仕事でなければ助けてはイケないのです。自分の仕事の分を守れば
必ず人生の目的は達成されるのです・・・