タラレバは考えたくありませんが、もし貴方がその人と同じ環境時間で同性として生まれていたなら貴方は高確率でその人と同じ選択をして人生を歩み非常に似た人格に成っていたでしょう。でも同一ではありません。貴方をその人足らしめているのは、その時の選択肢を選ぶのに何を決め手に採用したかに依り、多次元現実が枝分かれするのです。特に夫婦間や親子関係の近しい関係では顕著に別人格が発現します。仮にも貴方達の人となりが何故か引き合い一緒に居れると云うコトは何らかなシンパシーが共振し、自分に無く、手に入れたい何かを感じ始まった筈です。
そして縁あって一つ屋根の下暮らすようになれば当然子供を授かります。子供は生まれるその時の環境に有る選択肢から割り当てられた要素を持って育ちます。例えば愛情が満ちた環境の中では既に沢山存在するモノは選択しなくても環境に備わっているのでその選択が弱くなるかも知れません。でもその愛情に満ちた環境も家族が去っていく毎に足りなくなり、独り立ちする頃に弱いコトに初めて気付き渇望するようになり、愛情に満ちたパートナーを求め探します。逆に愛情が沢山備わったパートナーはその愛情を受けて貰えるパートナーを求め探すコトになります。
人は一人で完璧は有り得ません。何時でも周囲と干渉し合いながら存在しています。長所も短所も有る中で同じく長所も短所もある他人と手を組んだり喧嘩したり、ある時は知らない顔ですれ違ったり、でも全く自由に飛び回れる訳でも有りません、歩む道や選択に極端な間違いが在る時は、矯正されます。高次元の選択をした自分自身から間違いに気付き道を選び直すまで繰り返し修正を受けるコトになります。ネガティブな感情に凝り固まって意固地になっている低次元の自分自身は必死に抵抗しますがその間のこの次元の自分自身はどちらかを選択をするコトになります。
ハイヤーセルフもインナーセルフもそして自分自身も、皆今此処に同時に存在しています。本は一つなのですがあえて3つの人格に分けて会話させてみるとこうなります。
「そうそう私もその時にその選択をして苦しみもがき難儀したんだよ。でもその経験から学び行動して危機を脱したから同じチャンスを君に見せたいだけなんだ。でも選択は君に委ねられている」
「いやいや私はその選択をし苦しみもがき難儀したんだよ。でもその経験から学べず行動できなくなって未だに危機を抜け出せない。悔しいから助けてくれなかった君も仲間にしようと抵抗しているだけなんだ。でも選択は君に委ねられている」
「なるほど全ての本は自分の選択なのですね。気付かせてくれて有難うございます。なるほどやむを得なかったんですね理解できますよ!私も同じ経験している訳ですから。だから貴方を許しますもう苦しまずそこに留まらずこちらに来てください本は一つじゃないですか。人生もっと楽しみましょう!私はそう選択しましたよ!」
この分断を家族にも世間にも当てはめるコトができます。 ゼレンスキーもプーチンも血脈的にも近しい親戚なのに意固地になっても苦しみが増すだけじゃないですか! 人の命でお金儲けしている人達も最後はブーメランですよ! 誰かを苦しめると自分を苦しめるは同じですよ!本は一つなんだから・・どの道何時かは終わる人生!そんなに苦しまず楽しく幸せに暮らしましょう!世界は一度も統一されてもいませんが、一度も平和にもなってないのですから、選択は可能じゃないですか・・・・・
そういうコトを発信する私は甘っちょろい奴なのですかね~?・・・・・