昔々私が若干二十歳の頃(お前の様な奴は世間様の飯を味わって来い!)と半ば
家から放り出されて、就職情報誌で給料の良い中央卸売市場に職を求めて面接に・・

 最初は魚市場のマグロ屋さん、なんか社長が亡くなったそうで奥さんと番頭さんと言うかその店のナンバー2の職人と言うかマグロの解体技術者というか、雇って貰えたらきっと直属の師匠になると思われる線は細いが顔から厳しさと経験に培われた自信と毎日、日本刀の様な長い包丁でマグロを捌く仕事から醸し出されるのか少々ヤバイ雰囲気のあるでもまぁそこそこ男前の兄さんの2人が対応してくれました。

 奥さんはこの子は体力と根性は有りそうだと、何だかニコニコして良い感じだったのですが男前の兄さんは開口一番(君はこの仕事に骨を埋める気はあるか?)と、いえいえ関心があったし,やってみたいと思い給料も良かったのでお邪魔しましたが骨を埋めるとなると話が違います。とりあえず見習いから始めてもし自分に合っていると判断できるならそうゆう成り行きも在り得るでしょうが・・(やって見てから判断します)そう答えると(不採用!!)即決。

 後で思い起こすと恐らくこの男前の兄さんは先代の社長さんに同じ質問をされて即答したのかも知れません(想像ですが)即答したから雇われて、覚悟があったから修行に耐えられて自分に合っていたから職人になり、今,後進を選択する立場に在るのでしょう、いろんな意味で自分なりの採用基準を決めていたのかも知れません。でも刃物を振り回す職場で骨を埋めると約束し、まるで暴力団の盃事のような束縛を受ける決心は小心者の私には即答は無理でした。

 次は違う中央卸売市場の青果部に・・給料が良かったし、長い刃物は無いでしょうし、関心と言うよりどこでも良かったのですが・・面接は社長のお姉さん1人、気に入って貰って採用!その時に店で働いていた先輩の兄さんは、笑顔に愛嬌のある小柄だが少し覇気がある相手が誰であれ物怖じしない性格で市場でスーパーや八百屋さんに野菜を売るには持ってこいの商売人スタイルで、住む処決めてないなら、自分の住んでるアパ―トが開いているのでおいでと、トントン拍子にその兄さんの隣の部屋をねぐらにするコトに・・

 この兄さんには結構お世話になり、隣同士というコトもあり一緒に外食にも行きましたしいろんな話を聞かせて貰えました、この人は以前、物販の訪問営業から独立し一時社長もしたそうで、その時の名残というか戦利品と言うか今ではワシントン条約で入手不可能な象革のアタッシュケースを見せて貰ったコトがありました。この兄さんは凄く手が早く傷害で一度くさい飯を食べています、その頃は既に市場内でも暴力排斥の流れがあり、お前はかわいそうだ!少し前までは気に入らない奴がいたら殴り放題だったのに・・

 一度、市場の電気運搬車(ターレットトラック)で作業していると、向かいの店の
兄さんのトラックがぶつかって来て、危ないだろ!と言って睨みつけるとそのお兄さんの眉に違和感が・・よく見ると両眉に竜の落書き・・気の荒い兄さんたちの職場は何時でもイザコザが絶えず、あっちこっちで喧嘩がありました、隣の兄さんは、魚市場の連中とは余り揉めるなと・・奴らは何時でも手鉤を持っていて危険だと・・おいおい!使うのか?何故こうも夜と朝の間に働く職場には闇の世界と光の世界の中間の人種が多いのだろう・・

 実際私の就職した仲買商は市場相手に商品の手配の件で時折揉め、本職に札束を渡し、市場に派遣し、自分の店に有利な様に裏で落札させていました。うちの社長もご多分に漏れず玄人と素人の中間に位置する人で、口の利き方は玄人も裸足でした。他の店からもあそこの店の人間とは極力揉めるなと・・隣の兄さんも、お前は一番ヤバイ店に就職したんだよ!と(客がわれのコトよう働くゆうて褒めてたやんけ!わし嬉しいやんけ!われ!)褒められているのか怒られているのか、でも暫く務める間に多少は仕事にも慣れてきて・・目標も出来ました。

 仲買の仕事と言うのは市場と言う会社が全国から商品を集めてきてセリ場に積み上げ決まった時間に仲買人に競争入札(セリ)を掛け一番高い値を付けた業者に売っていくというシステムで、落札された商品はほんの数メートルから数十メートル離れた店に運び今度は小売商達に売っていく、勿論モノによれば冷凍冷蔵倉庫にも入れますが・・ここで100円で落札したものをそこで150円で売る、誠に純粋商売です。価格は様々な要因で決められます、天気が悪いと上がりよそが下がると下がり、仲買人の気分にも上下し、なんとなくも上下します。

 私はこの純粋商売を学びたくなったのです。指の暗号サインで価格を決め、暗号数字で今日の売値を伝える、セリ人だけではなく小売商にも勉強している人もいて解読されたりもしますが、店はプライスリーダー同士がしのぎを削り合う戦場と化します。少しでも安く買えば安く提供して集客できるし、利ザヤを多く取るコトも出来る選択肢も増えます。仏教で説く商売とは沢山有って余っているモノをそれが足りなくて欲しい処に持って行って利ザヤを抜くコトだとされます。市場の仲買はほんの数十メートルでそれが出来ます。

 さぁ!これから自分も純粋商売を憶えるぞ!となった矢先、アパートの部屋の前に私の帰りを待っていた私を追い出した実の兄が可愛そうな表情を浮かべながら(お前が帰って来なかったら会社が潰れる・・)とそして母が手術をして明日をも知れないなどと脅迫。この(あなたがいなければ会社が潰れる)と言う文句には要注意です。会社が潰れるのはいない私の責任では無く残った貴方たちの経営の結果でそもそも追い出された私は関係ない。これから自分の人生を始めようとする私は背に腹は代えられないと仲買商に不義理をして戻る選択をしたのでした。

 戻るや否や兄は全ての面倒な仕事を私に押し付け自分は父を唆して専務の立場で玄人と手を組んでヤバイ仕事を始めました。戻ってきてしまった私はそれでも目の前にや山積みの仕事に追われその中で後進を育てようと・・後進とと言っても若造の私よりも酸いも辛いも知り尽くして世渡りしてきた年配の人が殆どで胡麻化しは効きません、厳しい作業も率先して引っ張ってやらないと役に立つ様には働いてくれません。珠に見所のある人や若い人材が来てくれた時には誠意をもって誘導すると要約使いモノになってくれるのですが・・

 時折,現場に顔を出す社長である父や専務である兄が訪れると何故か人材の首を切ります。折角育てているのに何をするんだ!と抗議すると、あの野郎はお前に就いて俺のゆうコトを聞かない、生意気だ・・かくして育ててはクビにされ育てては虐められ・・結局私が何時までも現場の先頭で迎い風に当たり続け終には身体をぶっ壊すに至りました。足腰が立たなくなり病院に行くと君の背骨には何時からあるのかは判らないが脊椎分離すべり症があり腰椎が固定されず椎間板が圧迫して擦れて長く尖っている状態だ。現時点で70歳ぐらいの老人背骨だと・・

 先生は君に予言しよう!君はこのままでは45歳ぐらいには必ず車椅子で生活するだろうと固定手術と言う手もあるが100%では無いので一つ間違うと取り返しが付かなくなる恐れもある、手術しないなら背筋で支えるしか術は無く、立ってするスポーツは厳禁だ!唯一水泳のみがたった一つの選択肢だ。先生は私の肩を叩きながら君は十二分身体を使って仕事をしたこれからは頭を使って仕事しなさい・・と、同時に父が呼ばれ貴方は自分の息子を一体どうしたいのだと説教され、そんなこととはつゆ知らず金輪際息子に力仕事はさせません、会社も潰れてもいいとか・・でもその後4~5年続けましたが・・結論的には先生の予言も外れ多少曲がりは固いがしっかり固定されているようだ。人に他人の未来なんて当てるコトは出来ないというコトです。

 私も齢を重ね子の親になって、あれだけ恨んだ昔の父や兄を理解できるようになり自分なりに納得しています。彼らにはあの時、私に押し付けるコトしか選択肢が無く選択しただけで、私は自分の人生を彼らの望む方向で選択してしまっただけで彼らの選択では無くあくまで自分で選んだというコトです。どっちが善いとか悪いとかではなく、片方を選択して結果を経験したというコトでしかありません。当時私は壁に向かって独り言を話すくらい精神的にも参っていて、何故自分だけこんな目に・・と理由が知りたくて自分で退行催眠を掛けたりして記憶を辿ると、生まれる因縁の景色に出くわし全てを悟ったのでした。

 なんだ自分でわざわざ選んで生まれて来たんだった! その境遇で自分がどういう選択をしてどうゆう経験を味わうのか? あれもそれもそんな経験そのモノをしに生まれて来たのでした。選択をした為に苦しみが着いて来た様に錯覚を起こすコトはあるかも知れませんが、苦しみは選択しないコトも可能なはずです。ただ苦しい状態をも経験なので適度な範囲では選んでいるのかも知れません・・・そこから何を学び何に気付くのか?というコトなのです。・・・・・

 

 そしてその経験を目の当たりにして自分ならどうするか?結果にどう対処するか?その選択と次の経験に繰返し悟るまで向かっていくのです・・・