人事を尽くして天命を待つ。結構有名な諺ですが私にはどうも待つというところが
気に入りません。為したいコト為せ得るコトを為すコトは問題ないのですがそれを
縁として結果がこだまの様に舞い戻るのも当然としても何故それを待つという行為で
ククるのか?疑問に感じたのでググると元の語源では人事を尽くして天命に聴すと
なっていました。聴すとは(まかす)と仮名をふられたり、(ゆるす)と読まれたり
するようです。どちらも待つという意味とは若干ニュアンスが異なります。

 人事を尽くしたのなら結果を待ちたいのは人情ですが、結果を期待してしまうと
結果を受ける時期は遠のきますし望まぬ方向に変化ももたらします。でも聴すなら
納得出来る感じがします。やるコトやったらあとはどんな結果でも我感知せず、矢でも鉄砲でもどんと来てくださいの心構えで次のコトを創めて極力そのコトを忘れる。


 人事の対象が人間なら猶更です。これだけ尽くしたのだから対価を返るのを待つ、
待った瞬間に自分の一番大事な自分軸を相手の人に握らせるコトになってしまいます。出来るコトなら結果を待たなければならないコトは避けるべきです。

 人は誰しも自分を表現できる表現したいモノを編み出します。歌手は歌を、作曲家は曲を、作詞家は詞を、美術家は作品を、建築家は建物を、芸人は究極の笑いを、俳優は役を等等等・・・・・・・それが一番得意だし好きだし、やりたいし・・生活があるので多少は相手の嗜好に合わせるコトもあるでしょうが、歴史に名を刻まれた人達は相手はお構いなしです。だから金銭的に困窮したり死んでから価値が認められたりするのですが他人の言いなりでは自分の作品は創れませんし、自分自身で納得も出来ません。

 この世界が本当に欲しいのは貴方のオリジナルの作品なのです。それは考え方かも
知れませんし方法かも知れません。貴方の心の底から湧き出る叫びを貴方にしか奏でるコトが出来ない旋律をこの宇宙に放ちましょう。どこかで誰かの感情を共振させたりこだまを返してくれたりする筈です。ただ期待はNGです。見返りの期待の無い発振は無償の愛でありエネルギーです。いつか貴方に舞い戻り望みを叶えてくれます。


貴方のオリジナルは貴方にとってそんなに難しくはありません。貴方は貴方を極めれば善いのです。野球の名ピッチャーがボールを投げる時その捻り方で自在に球筋を制御する様に貴方の想念に正確に捻りを加え宇宙に放つと望む結果を呼び込めるのかも
知れません。

 世間では数打ちゃ当たるとも言われますし、打ち続けるのも一つの手段でしょう。
大事なコトは自らを発振し続けるというコトです。失敗を恐れず七転八起出来る人は
成功を勝ち取り夢を叶えていますし叶え方を経験で知っています。貴方は貴方の
得意な方法で全然問題ありませんというより貴方の発振こそが必要でこの宇宙は
それを待っています・・・・・

 天に期待させるなんて貴方は大した存在なのです・・・