今から約2500年前にお釈迦様は悟りを開き仏陀(目覚めた人)になった。
釈迦牟尼仏陀は人とは、ほんの瞬間の刹那に生と死を繰り返す存在と説いた。
これは生と死の話だから恐らく命や意識体若しくは精神体コトと想われる。
お釈迦様はどういったプロセスでこんな真理を悟ったのでしょう?

 肉体のコトなら生まれて生きて死ぬまで新陳代謝を繰り返しながらも
老化して朽ち果てて死を迎えるサイクルがあり、細胞の集合体である肉体が
一斉にリズムを合わせて刹那に生滅するには無理があるし意味も無い。
ただ肉体とは意識や無意識のビジョンで構成されるモノとすれば在り得る。

 肉体をさらに分割した、分子レベルでも原子レベルでも同じだ、素粒子
レベルになればある意味振幅を持つ電磁波に近くなるので周波数を持って
この世とあの世を行ったり来たり出来るかも知れない。でも素粒子をもって
人の構成要素と呼べても、それが人であるとは言えないでしょう。

 意識や精神体は一種のエネルギー集合体なので次元を超えて移動するコトも
輪廻転生するコトも出来る可能性はある。この世は物質界であの世は反物質界
であり、エネルギーが集まり対に生じて対に生滅してエネルギーを開放する。
そして凪の様な平穏な状態が空であり、振動するコトにより対で生ずる。

 現代の最先端科学や物理学には量子論は不可欠になってきており、何一つ
確実なモノは無く、現実は人間が拵えた数式の枠には収まり切れないコトが
判り始めています。実際昨年打ちあげられた最新鋭のジェイムズ・ウェッブ
宇宙望遠鏡の観測結果は既に現行物理学の常識を激震させています。

 例えばビッグバン理論の様に目に見えるモノだけを追いかけて行けば宇宙は
膨張し(遠方銀河の赤方偏移)さらに加速し時間を戻せば1点に集まる筈だから
ビックバンが必要になる、この理論を目にする度に、旧約聖書に出てくる神が
光あれと言ってこの世に光がさしたという行を思い出され理論を唱えたの学者
も意識の底にそう有るべきだったのかも知れません。

 例えば暗黒物質やダークエネルギーといった何んにも観測できないが、宇宙の
大規模構造を繋げる重力の絶対的な不足を補う為に都合よく想定された分布図
などが描かれる度に、何故この世と重なったあの世との干渉だとは考えないの
か不思議です。この世に少ないモノはあの世に沢山有り、この世に多いモノは
あの世に少ないと、勿論並行宇宙論も膜宇宙論も存在しますが・・・

 お釈迦様の言葉は聞き伝えでしかも何度も翻訳を重ねているので、どこまで
正確に当時の言葉を再現出来ているか自信はありませんが、菩提樹の下で悟りを
得て「私は目覚めた」と言い切ったのは、現在完了形の言霊を発するコトで
本人が望む覚醒を呼び込んだ可能性があります。そして未来から舞い込む変化を
ことごとくプラス思考でチョイスし人生を自在に生きて苦しみから解放されなさい
と説いて廻ったのかも知れません・・・

 所詮一次元の生物には二次元が解らないし二次元の生物にも三次元は観えない
三次元の生物には四次元の方向軸を簡単に足せないけれど、見えない方向に
もっと沢山の高次元座標軸が存在していても三次元的な数式においても矛盾は無い。

 がて~がて~ぱらがて~ぱらさむがて~ぼでぃ~  ソワカ。

 これは究極の呪文だとされる真言すなわち当時の言霊です。意味があっても
敢えて意味を説かず、本当は文字にするコトもせず、ただ音と音階の伝承です
この振動は世を超えるのかも知れません、すぐ隣の世を・・・・・