妊婦はお腹の中の胎児が成長するにつれ日常生活に支障をきたすようになります。
赤ちゃんを出産する為の準備が無意識に進行し、骨盤の形すら変わってきます。
タダでさえ身重の身体なのに腰痛に悩まされ、圧迫されトイレが近くなり、陣痛の
苦しみにましてストレスを受け一日でも早く生み出したいと願う様になり、最後の
クライマックスである出産を迎えます、説明するまでもなく出産の痛みは譬え様の
無いモノで男性には決して理解出来ないモノだそうです。

 出産を終えた達成感と安堵感、我が子と対面した時の喜びと充足感、母親としての
幸福感に浸れるのも束の間地獄の育児が開始します新生児は母親をまともに寝かして
くれることは有りません、お腹が減ったと泣き、オムツが濡れたと泣き、原因不明で
泣き、こんなコトならお腹の中にいてくれた方が良かったたと思うコトがお母さん達の共通した訴えになります。でもその間のひと時の静かな時間、我が子がすやすやと眠る寝顔や、時折気分が良い時かどうか反則級の笑顔を振りまく瞬間、母親の苦しみはリセットされ再び育児に勤しめます。もしこれが無ければ不幸な三面記事が増え、
人口も確実に減少するコトでしょう。

 では生まれ出される新生児の立場から観るとどうでしょう? 縁あって母親の胎内に着床し、養分も酸素も胎盤を介して頂戴し、生きて成長する為の条件は自らの周りに揃うべくして準備されている不自由のない環境ですくすくと成長しますが臨月を迎える頃にはお腹の中は手狭になり、もう少し長く居たくても成長しすぎると分娩時にリスクが増大し命に係わってくるので、母親の体況に合わせてに産んでもらう準備をします。そしてその時が来ます。狭い産道を固まっていない頭蓋骨を細めながら、一番抵抗の少なそうな姿勢に回転しながら通り抜けます、そして生れ出て最初の仕事が羊水を吐き出し、鼻から肺に酸素を取り入れるコトですが、この時初めて産声を上げて泣きます。

 この時点から一人の人生が始まります。この瞬間+その場所は他人と共有するコトの出来ないこの世でオンリーワンの自分だけの座標であり人生ベクトルの起点となります。モノゴコロが付く頃までは、両親やそれに準ずる周囲の人の助けをもって生かされます。衣食住全てにおいて周囲の人の判断に身を委ねるしかないのですが、ある意味自分が何もしなくても周りが自分の必要なモノを揃えてくれ、万一気に入らなければ泣いて拒否し、妥協できる処まで誘導するという、まるでどこかの国の王子様や王女様の様な時期を過ごします。但し諸般の事情により例外もありますが、その時期運命が終わっていなければ誰かから何らかの幇助を受けています。

 幼稚園(保育園)や小学校に通いだすとある程度送り出す人の意図にも左右されますが自分なりの社会生活が始まり人間関係が構築されていきます、先生であったりクラスメイトであったり、干渉を持ちながら自分の個性と他人の個性の比較も起こり、行動に選択肢が生じます、家族の個性が反映されるコトもあるでしょうし、逆に集団生活で取入れたモノを持ち帰るコトもあるでしょう、最近ではネットから得た知識に自分の選択が影響を受けるコトもあり得るでしょう。折り重なる周囲の干渉が自らの自我を形成してゆき、モノゴトを判断する自分の物差しに利用されます。ただこの物差しは本来の物差し(測長器具)とは反対に誰一人似るコトはあっても共通するコトはありません。

 誰もが自分にしか通用しない基準をもって、他人を測ります。でも人はオンリーワンであるコトに必ずしも価値感を持ちにくいところがあります。現代教育がそう教育してきたからです。多分野の教育を受けられるコトは選択肢を増やす為にも良いコトの筈ですが、受けた教育の理解度や習得度を計る為の試験制度に問題があるのです、試験に合格する為には試験を作った人が想定した回答を提示する必要があります、結果的にマイノリティな回答は間違いとされ落とされてしまい、試験を受ける人の思考回路を統制してゆくのです。本来様々な回答があって然るべき個性は削除され、機械的頭脳の人が社会を管理します。

 人は誰もが他人が創った世に生れ落ち自分の人生を歩みますが、自分の人生は元来誰かに捧げるモノでは無いのです、植え付けられた常識やモラルは社会生活に知識としては必要かも知れませんが、生まれてきた目的に気付き自分の人生を全うする為には厄介者でしかないのです。この世の中の上層部は常識やモラルの欠如した人達で溢れています、そんなモノ後生大事にしているのは、この世の中の底辺で明日の生活費の為にやりたくない仕事をし、性格異常の上司の機嫌を伺いながらストレス性胃炎に苦しんでいる人達だけなのです。だから自分の人生に迎い来る事象の選択は、世間の常識の拘束着を脱ぎ捨て、自分だけの、オンリーワンの物差しで測って判断するのが自分にとって一番後悔の少ない正しい選択なのです・・・

 人生の歩みの先には変化はありますが、その変化を吉とするか凶とするか選択次第なのです勇気を振り絞って恐怖にぶつかっていくコトが必要な時もあるのです。

  新生児が息吹くように・・