時間と空間。アインシュタインはこの2つは切り離すことは出来ないので
時空間と呼びました。空間を移動するコトで時間という概念が生まれ時間の
経過は空間の移動を表します。この世界のすべては空間を移動しています。
ミクロな世界では素粒子も原子も分子もマクロの世界では地球も太陽系も
銀河系も果ては大宇宙の大規模構造までダイナミックに引き合いながら普通
回転運動をしています、回転しながら移動するので螺旋の軌跡を残します

 自転(スピン)しながら移動するというのはこの世のごく自然の在り方
の様です。タラレバは使いたくないのですが逆に全ての動きを停止させたら
この世は消え去ります。原子の大きさを決めているのは核の周囲に帯電する
電子雲の範囲です、核は陽子と中性子から構成されそれらも全て素粒子が
結合して存在しています。素粒子はいわばエネルギーの一形態でスピンしたり
相互作用してりして存在しているので、止めると存在が消え去るのです。

 エネルギーが加わって移動しエネルギーを失って消滅します。例えになるか
どうか自信がありませんが、この世とあの世の境界に薄いゴムの膜が有ると
仮定してください。あの世側から指で膜を押すと、この世側に指の形の凸が
造られます、同時にあの世側に凹が出来ます。凸はエネルギーの具象化で
凹はマイナスのエネルギーの具象化なのです、指を引っ込めるとゴムの膜は
揺らぎながら凹と同時に平面に戻ろうとします、これが物質と反物質の関係で
同時に生じ同時に消滅する理屈なのです。

 実際はもっと複雑な次元が絡み合って時空間が成り立っているので、簡潔に
イメージするコトは困難なのですが、人類の思考想像界に収めるにはとても
曖昧なファジーなイメージのまま高次元に存在すると考えるしかありません。
簡単簡潔に言ってしまえば、光などの電磁波や素粒子はこの世とあの世の境の
膜の振動で無理にこじつければ堺の膜を裂いてゆく裂け目の移動なのです。
但しその膜は高次元に存在するので我々の身体の内外に無限に存在しています

 我々は行動するコトにより自分だけの時間を生み、止まるコトでエネルギーを
失います。一個の命として与えられた時間は有限です。無限ではありません
一般的にその貴重な時間を切り売りするコトでいくばくかのサラリーを貰って
生活のサイクルに換えています。そうしないと生活できないような洗脳を植え付け
られそれを当たり前だと思わされています。でも我々は家畜ではありませんし
消耗品でも在りません。

 ネイティブアメリカンはそもそも大自然にあるモノに対し所有するという概念は
無かったそうです、それを何時も間にか妙な紙切れにサインしただけで大自然と
共存する権利を剝奪され僻地に追いやられてしまいました。昔々の王様は自分の
権利は神から下されたモノだと権威付け領地を自分の所有物としたのです、その
領地で産する全ての幸は自分のモノであるから税を納めろと、挙句の果ては人間
をも売買し所有し奴隷と化し、時間と命を奪い盗ったのです。

 もちろん社会が大きくなれば法と秩序は必要でしょう。税の徴収も公益の為には
欠かせません。でもそれは誰かに強制されるもので有ってはなりません。みんな
自分の時間を持ち寄っています。先ず自分があり家族があり次に社会があるのです
人生の終焉を迎えようとする人に聞きました、あなたの人生はどうでしたか?すると
ほとんどの人がもっと自分の為に生きたら良かったと後悔しているそうです。
忌野際に後悔するくらいなら貴重な時間はもっと自分の為に使うべきです。その為に
他人任せの生き方より自分の生き方の計画が必要なのです。

 決して今の仕事を直ぐに捨てろと奨めているのではありません、限られた自分の
時間をもっと自分の為に有意義に使いましょうというコトなのです。この世は複雑で
高次元が入り組んで構成されているから、あれもこれも同時に進行可能なのです、
人間に何の差違もありません、自分には出来ないとか、人生を変えて行くコトに恐れは不要です。洗脳で植え付けられた脅迫感や自己否定のフィルターは捨て去らなくてはなりません無理なんかするコトもないし、愉しみながら笑いながらで大丈夫です。
何とかなります。あの人が出来るのなら私にも出来るのです。より良い自分の未来を
創っていくぞという意志とその未来に飛び込む勇気があれば何のコトは無いのです。

 空間を移動(行動)するモノだけに与えられる時間があります。そしてそれは唯一
自分のモノで財産なのです、金やプラチナ等の貴金属は特異な環境と悠久の時間をかけて生じます、暗号通貨もマイニングに時間が掛かります、信用も同じです、時間を掛けて創られたモノは価値を持たせることが可能なのです・・・・・