人事を尽くして天命を待つ。

 人事って尽くせるモノなのか?それに待つと云う表現に若干の違和感があるし。
人事=人の為すべき若しくは為せ得る事、これは意識した行動の事なのか又は無意識の行動も含むのか、仮に意識した行動の事だけなら、尽くしたと言い切れるのか?無意識の行動も含むならそもそも尽くし得るのか?そして天命。人は果たして天に命ぜられて為すべきや得るべきを選択するのか?そして待つという能動性を放棄した選択。全く屁理屈のオンパレードな文章に成っていますが、私は、なら如何すりゃ善いのか知りたい。

 上記を踏まえ注釈を加えて文章を私なりに改造するなら

 上手に立ち回って描いた未来をモノにする。

 人の為すコトって自分が決めれる場合も無いコトもないが自分の置かれた周囲の環境で為すべきコトはおのずから与えられ強要されている場合が大部分を占める。全く我流で貫くと周囲から爪弾きにされ、逆に他流に任せると大体良い様に利用され美味しい所は持って行かれる。結論的には我流他流相混ぜながら上手に流れに乗るコトしか儘ならない。我流の中身に他力本願が有ったって矛盾しないし、他流の中身に
自己完結を要求されるシーンは幾らでも出てくる。

 マラソンは過酷なスポーツです。でも42.195kmと距離が決められているから選手達は、練習を重ね作戦を練って走れるのです。稀にもっと長い距離を走破する強者もいる様ですが永遠には走れません。人の体も精神もそんな風に出来ていないのです。補水しながらやカロリーを摂取しながら走れても、排泄や睡眠を取りながら走るコトは適いませんし、強行するといずれお陀仏です。だからコトを尽くすとはあくまでDo the Bestでありその中にはちゃんと休憩や息抜きその他も含まれているのです。

 人は頑張れば頑張る程、結果を期待してしまいます。しかしこの期待が曲者なのです(出合え出合え~)そして期待すれば期待する程、何故か結果のハードルは遠退きます。期待とは文字通り時期を待つというコトなのでやはり待ってしまっているのです。待つとはそこで止まるというコトなので他力に任せてしまう状態であり自分の意志でどうにも制御はできないのです。コントロール出来ないから不安になり、結果が遠退くと他人を疑ったりする感情も生まれます。

 自分が上手に立ち回れないのは何処まで行っても自分の課題で、他人のせいに出来ません。この世の中は一時たりとも止まらずに変化しているのです。その中で自分だけが止まってしまうと世の流れに置いてけ堀を喰らい、おまけに不安や猜疑心などの負の感情に苛まれだすと受け取れる筈の幸せもドツボにまっしぐらです。せっかく頑張ったのだから、対価は善いモノを貰いましょう。その為に期待せず、止まらず次から次へとやるべきコトをこなして行きましょう、きっと沢山有る筈です。どこから幸運が舞い込むかは分かりません。そのうち期待するコトを忘れた頑張った結果も笑顔で舞い込むでしょう。大丈夫です。人生は休憩も息抜きも睡眠も禁止されていませんし、仮にしくじったって取り戻せるようにプログラムされています。

 何故言い切れるのかですって?私は知っておるのですよ、そのプログラムは自分で組み込んだというコトをこの頑固者の自分を自分自身で導くなら生易しい試練では駄目だというコトを、でも到達させたい場所は素晴らしい所に決まっているから何故か腹も立ちません。頑張れる自分に感謝かも?(怠け者ですが・・・)


だから昔、母親が教えてくれた(山より大きい獅子は出ん!)なのです。眼前に立ちはだかる障壁は必ず乗り越えるコトが出来るのです。もしどうしても乗り越えなられない障壁があったとしたらそれは、乗り越えなくても善い障壁というコトになります・・・だから大丈夫です・・・