ある人は、愛には真心があり、恋には下心があると恋と比較して定義付けようとしますが
何か言葉遊びみたいで素直に納得できない、「愛ってよくわからないけど傷つく感じが素敵」
これはむかしむかしの薬師丸ひろ子のヒット曲メインテーマの歌詞の一部分ですが、作詞は
南佳孝で男性から感じた愛の説明しきれない定義で、少し共感できるところがあります。
私も愛というテーマは男として語るコト自体こっ恥ずかしく、説明するときにはやはりよく分からないけど「仁」なら理解できると説明していました。一人では必要無いが、二人になれば必要になる概念、相手と自分は生まれた時も、場所も、育んできた考え方も違うので、基本違うモノ同士が人間関係を築く為に初めて必要になる所業というか智慧というかそんなモノ。
ある時は見て見ぬ振りをし、ある時はその為に嘘をつくコトも容認される。でも愛と仁は共通点はあってもイコールでは無い様な気がします。女性はよくステディな男性に愛の言葉を求め確認したがります男性はよく分からないけど愛の言葉で納得するならと唱えます。多分女性からしてもよく分からないから言葉としての愛を確認したいのかも知れません。
Fall in Love は恋に落ちると訳されます。私は長らく Hole in Love と勘違いしていました
愛の穴に落ちる若しくはハマった状態で簡単に抜け出すコトが出来なくなる、誠に不自由な状態で自らの意思と関係なく感情が制御できなくなり、苦しくって相手も引きずり込もうとします。愛の為に本末転倒なコトに相手を傷つけたり、成就しなければ最悪56してしまったりもします。
こうなると愛は自分が制御できる意識ではないので、潜在意識の具現ということになります。
自分ではよく分からないけど潜在意識のレベルで相手と共鳴共振してしまい、それを上手に利用する結婚詐欺師とかを生業にする人種の収入の糧にされたりもします。でも人は何かを選択するとき愛のある選択をすれば正しい選択が出来ると言われます。そう潜在意識が共鳴共振する選択です。
自分が意識できる範囲はほんの少しなので、本当は手放してしまった方が善いのかも知れません。自分の思い込みで選ぶ外見や言葉に惑わされずに心を開いて本当の自分の選択に委ねてしまう方が間違いの無い選択が出来るのかも知れません。詐欺師にしてやられるコトも無いような気がします。よく分からないけどそれが本物の愛に辿り着く近道なのかも知れません・・・