中学生の頃だったでしょうか、美術の授業で自分自身のレリーフを石膏で造るコトになり、まず自画像を鏡を視ながら描いていると、担当の女の先生が笑いながら、君ちょっと男前に書きすぎと違うか?とか失礼なツッコミを入れられたコトがありました、そりゃあ私は決してイケメンではないでしょうが、鏡に映る自分を視る時、少しでも男前に見える角度で自らの希望的観測を少々織り込んでも誰に迷惑を掛けると言うのでしょう、先生貴女は、自画像を描くとき、現実より不細工に描きますか?誰だって自分自身を現実より少しプラスに描きたいモノなのです

 漫画家が描く主人公はある意味自分の代弁者で、毎日何度も見ているであろう鏡に映った自分自身の顔がべースにあり、それに漫画化個有の容姿や能力を与えて自らが思い描いた仮想世界を縦横無尽に暴れさせたり、現実では有り得ない上流階級のお姫様に変身したりしてストーリーを構成します、言い方を替えれば作者自身が望んでいたり、欲求を満たせる方向にビジョンが展開していくのです、自分に足りないモノを完璧に補い、自分がやり遂げるコトが困難と思える場面にもスーパーマン的な奇跡を起こしてでも成し遂げるので、作家自身のみならず読者のストレスをも解消し快感を与えうるのです。

 ヒトは自分自身で自分より格上だと認識している芸能人に似ていると言われれば親指を上に、自分より格下と考えている方に似ていると言われると親指を下に評価します、どちらも少しエッセンスが入るので似ていると言われるのですが自分をベースに自分の思い込みで、片方は応援して少しでも近づこうとファッションを真似たり、行動も似せたり、宣伝する商品を買ったりもします、もう一方はその存在を認めず遠ざけようとします。誰もが基本的に向上心を持つので自分に不足するモノを手に入れようとするコトは、自分を高みに挙げる当然至極の行動です、見てくれは大事です。見てくれるヒトや自分自身の肯定の為に・・・容姿に関してはヒトは自然に少しプラスを選択します、でもいくらお金を掛けても急激には変身できません、ヒトそれぞれのベースがあるのです・・・

 容姿のみならず自分のベースに立脚し、あるモノは肯定し、あるモノは否定する、こんな選択を日々繰り返し、ヒトは変わっていきます、そして暫く時が流れると昔とは全然違う自分になっているコトも有り得ます、言い換えれば自分という存在は自分の選択にしたがいどうにでも変われるモノなのです。元々この世の中の全てはエネルギーで構成されているので・・・・・??・・お気に入りのアイドルも、思わずチャンネルを替えてしまいたくなる苦手な奴も・・・??・・ヒトだけではなく、全てはエネルギーを高次元に丸め込んで存在するので・・自分の拘りと思い込みを完全に制御できれば映画マトリックスのエージェントの様に誰にだってなれるし、主人公のネロのように空も飛べるのでしょう・・・・・・究極的に非難を恐れず言ってしまえば・・・眼にする全ては自分でありパラレルワールドに住む自分の片鱗であり、時間軸が高次元に織り込まれてはいますが自分の一形態なのでは?という観念が浮かびます、いつも喧嘩しているあのヒトも、反抗するこのヒトも一部分なのかも知れませんがその辺の石ころも・・・・・

 

 何だか昔読んだ荘子の中に登場するおっさんも言ってたような・・その時は道端の馬の小便の中にも真理があるとか・・・