そもそも時間という概念は人間が便宜上編み出した一つの物差しでしかありません、正確に一秒と言っても無限に1.000・・を羅列するコトは敵いませんし共有することも出来ません、超高速で移動する物質と止まって見える物質の時間の進み方も変わりますし、モノにより固有の時間が存在するのです、物質で構成されている人間もまた然りです、人としてこの世に生を受け自分固有のベクトルを持ってこの世を去るまでの間、大自然のダイナミックな運動の影響を受けながらもそれぞれの軌跡を描き唯一つとして同じモノはありません、原因が有ってこの世界に生まれ出た生命の軌跡は、あたかも鞭のようにしなり、近くの生命の軌跡と干渉し合います、ある時は打ち消しあい、ある時は押され、ある時は命のパワーを受け渡しされ、そしてある時は新しい生命の軌跡を創り出してゆきます、生まれた命はいずれ消滅しますが、生きている間は様々な条件と変化の干渉を受けながらも自分なりの対応を選択することで予測できない結果をもたらします、生じれば滅するコトから逃れられませんが、どう生きるか、どんな足跡を残すかは、それぞれの命の行動選択により変化しますし、意思や想念により変えていけるモノなのです、そして子孫を残し、若しくは、家系脈を補助するコトにより、永遠の時間にもチャレンジしています、全ての人間がそれぞれその結果であり原因であるのです。

 

 人間は意志次第で過去の歴史にも未来の歴史にも干渉し変化をもたらします、広いグリーンの上でカップまでかなりのロングパットを残したプロゴルファーはグリーン上を許される時間を使い歩き周り、芝目を読んだり、高低差を確認したりします、そして意を結して絶妙の力加減で自分なりに読んだ方向にボールを送ります、ある時はカップに吸い込まれるようにパットが成功したり、ある時はカップの淵をナメただけでカップに嫌われ外れたりもしますが、勢いに乗った選手のパッティングは何故か固いイメージでカップにボールをねじ込んでいると思えるような決まり方をするように観えます、正確にはたった一点に確実なテクニックで決めているのではなく、ほんの少し幅のあるカップインのルートに練習で鍛えられてはいるがほんの少し不確かさのあるテクニックで挑み、後はやはり『入れ!』という強い想念がカップに向けて転がされたボールをカップインのルートに誘導し、カップに嫌うことを許す選択の余地など残さない未来に対する干渉が為されます、それを大観衆の興奮や視線の中でも自らは全く動じるコト無く為しきれる選手だけが優勝の栄冠に輝きます、結果の成功と失敗は事象の裏表であり、ほんの少しの領域の中ほんの少しの力加減と鍛えられた方向制御に確固たる想念を集中するコトにより不思議な力を発現させモノゴトを成功に導くのです、そんな不思議な力はギャラリーには視えませんが選手本人は案外普通に認識しているモノなのかも知れません、ただしプロとしては個人の企業秘密の範疇の技術なので、闇雲にアピールされるコトは無いでしょうが・・

 

 不確実性が大自然の本質であるなら、真実は全て有るか無いか、見えるか見えないか、聞こえるか聞こえないかのほんの少しの幅の中に押し込められているといえます・・現在では伝承だけが残り本編は多く喪失されている奇門遁甲術という古典が古の中国にありました、諸葛亮孔明が国策や兵法に活用したとかの逸話もありますが真偽は確かではありません、発祥は孔明がいた三国時代どころではなく、中国の最初の帝である黄帝が天帝から授かったのが始まりとされ、中国の歴史の始まりから存在したモノとされていますがこちらも真偽のほどは確かめる術もありませんし本編そのモノが失われているので、誰も合っているとも間違っているとも断言できません、ただかつて存在したコトだけが伝承されています、現在残されている奇門遁甲は殆ど占いに利用される訳の解からないモノに成り下がってはいますが、どういう風に解釈しても利用しても誰に憚るコトもありませんし、否定も肯定もされる筋合いの無いお話として解説しますと・・天帝はそもそも人間ではありません、天の神様の王のコトで仏教では帝釈天と呼ばれキリスト教ではヤハウェとされます、そしてその天帝を祀るコトが出来るのは天子たる王だけに課された義務であり王権神授説の根拠とされています、そして天帝から授かった智慧が奇門遁甲術というコトになります、これは人民を治める為の智慧の結晶であり、国を護る為の兵法、想念を実現化するための結界配置の集大成だったのです。

 

 奇門遁甲という漢字が黄帝の時代に象形文字として存在したかどうかは定かではありませんが、後の時代に当て嵌められたとしてもその意味するところは伝わっているモノとして、奇門遁甲の奇とは常識に収まらない不思議なという意味です、門はまさしく入口出口のゲートのコトです、遁とは身を隠すコトであり甲は亀の甲羅を焼いてひび割れで吉兆を占われた占術や、呪術いわゆる現在でいう超自然的な現象の引き寄せ、すなわち魔術やマジックのコトです、遁甲はそんな不思議な力で人の目をくらまし姿を消し去るコトとなっています、繋げて解釈すると不思議なゲートを呪文や結界で召喚し瞬間移動する技術のコトなのです、何時の時代も戦争に勝つ為に科学が飛躍的に発達します、何千年も過去の世界でも今とは異なった形でこの世界の不思議が解明され利用されていたのです、奇門遁甲術は遁甲盤といわれる算盤というか天文盤というか計算尺のようなモノで、人や軍隊を取り巻く八つの門の配置を割り出し、例えば自らの生門が相手の死門に交わる方向から攻め入り大自然のベクトルを借用して勝利を収めるという無敵の兵法にも活用できる技術だったのです。

 

 ただ条件はたった一つ、その技術の独占です、天子だけがその技術を活用する事で絶対勝利がもたらされるのです、いわばインド神話のクリシュナのような存在であったので、世の万人が知れるところに晒されてはいけないのです、術を仕掛けられた側からは敵陣がいきなり視界から消え去り再び現れたときは既に自軍の本陣が壊滅していたといように・・もしかしたら失われた技術書は密かに伝承され瞬間移動や星間旅行に使われている可能性も無いとはいえません、真実の力は何時でも隠され、独占欲の対象となってきましたが、世界に情報が開示され、秘密にしておけない時代が迫ってきているのも現実です、天子にそんな技術書を渡せたような天帝側にすれば想定内のコトでしょうが・・

 

 そんな不思議なゲートがすぐ隣に存在しているのに、活用すればエネルギー問題も食料問題も解決するのに、人は気付かないだけなのです、その理屈と活用の仕方を・・ちっぽけな常識と思い込みに邪魔されて何時の頃からか認識が本来の容から外れいるのを・・目に映るモノの不確かさの中にこそ真実が隠されています、長い冬が凍らせた雪が溶け春に草木が芽吹くように季節は巡り夏が訪れ実りの秋を迎えます、遁甲盤は全ての人類が共有する記憶に刻まれています、隠されているモノを探しに行く必要なんてないのです、未来の変化は貴方の閉ざされたゲートを開けてくださいとノックしています・・邪念を振り解き、諦めずに集中して目を覚ましてください、時間はあります、貴方だけに与えられた唯一無二の時間が・・どうせなら明るくておもいっきり幸せな情景を描いてください・有為転変・変化を止めるコトは誰にも出来ないのです・・・