大きな神社では節分祭りに福餅を撒いたりします、ある所では見るからに福の多そうな相撲取りが景気よくバラ撒いているのを季節ニュースに取り上げられたりしています、福餅は沢山準備されているでしょうが撒かれた服餅は参拝者全員には届きません、一人で沢山受ける人もいますし、残念ながら受け損ねる人もいるでしょう、受けられる人には受けに行く積極性と運が必要です、なによりも現場に出向かないと受けられません未来から降り注ぐ幸運もこんな感じかも知れません、あまり下から湧き上がるというのもイメージが沸きません、やはり天上から恵みの雨のように舞い降りてくるというのがぴったりです。
自然の草木はその恵みがあるまでひたすら耐えます、足るを知り無駄を最小限に抑え地中深く根を下ろし、樹皮は乾涸びて深く皺が刻まれても内部の生命の灯火は消えることはありません、そうして何百年年輪を重ねる古木も存在します、高い山の上では雨雲は眼下からせり上がり、下から雨が吹き上がるというコトもありますがそんな高地では別の要因で樹木は活動できませんので、雨が恵みにならないコトもあります、低温の為水分の有る無しに係わらず樹木は育たなくなりますし逆に砂漠などで極端な水分不足に見舞われても当然樹木は活動できません、サボテンにしたって本当に水分が無いと枯れます、あるところでは風が強すぎて樹木限界がつくられたりもします、だから場所にもある程度左右されるコトとなります。
植物は水を求めて移動できませんが、動物は乾季に水を求めて彷徨います、一番鼻の利く象が水の匂いを追い求め川底の水を掘り当てたりします、人間も動物なので水分が切れると水源を求めて彷徨うコトになるのですが、それは大昔の話で現在は余程のコトが無い限りハンドルを捻ると水道の蛇口から必要なだけ水が出てきます、動植物にとっては水は生命線であり生きる為に欠かすことの出来ない条件ですが、現代人にとって勿論水が無茶苦茶貴重な地域もありますが、お金を出せば手に入るモノになっています、お金が無くなれば衛生的な水は手に入りませんし、手に入れる為にはお金が必要です、そしてお金に代わるモノが未来から降り注ぐ幸運なのです、そしてその幸運を手にする為には、そんな場所に出向き積極的に両手を伸ばし掴み取る努力が要るのです。
誰にでも機会は与えられますが、幸運の福餅は全ての人に行き渡りません、しかし必要最小限の福餅は確保しなければならないのです、どこに出向こうが、人から奪おうが、秘密兵器を使おうが・・只、使った手段にはそれぞれの結果が付いてきます、それがこの世界の掟なのです、大自然が地球の生物に課した優勢の理なので、淘汰されるコト無く生き残り合戦に生き抜くことが未来に繋がる第一条件なのです、生き延びればまたチャンスは巡ります・・唯、植物も動物も水浸しの状況では枯れたり病気になったりします、塩水では喉の渇きはいえませんし植物も枯れてしまします、海草や魚はちゃんと調整する機能を有しています、ジンベイザメも大きな口に大量に海水を入れていますが、飲んでいる訳ではありません・・人も幸運が水浸しになれば弊害が出るモノなのかも知れません・・ちょうど良いバランスがあるのでしょう・・・