昔、父親の家業に従事していた時は一日中仕事に追われて時間が足らず、早朝5時に早出して仕事を始めても終えるのは早くて午後7時や8時でした、遅くなると10時に終わるなんて事もありました、まるで皿回しのようにちょこまかと走り回り、づぼらな性格の私は如何にして目の前に積み上げられた仕事を要領よくこなして行くか無い知恵を絞ったモノでした、逃げ出すことも出来ず、また逃げ出す気も無く、風邪を引いて寝込む時間もありませんでしたし、不思議と風邪にも掛かりませんでした、身体がそんなリズムに馴れてしまって、言葉では説明しようの無い虚無感だけが積み重ねられていたと回想します、その時代は仕事の意味を判るコトも無く、ただ黙々と言われた通りの仕事を続け、遣り甲斐のある仕事とか考える余裕も無く5年が過ぎ6年が過ぎる頃、未来から変化の兆しが近づき、身体がきしみ始め足腰が言うコトを聴いてくれず立てなくなってしまったのです、しかも暮れの一番忙しい時期を終えてからでした、正月を這って暮らし、年明けに医者に行き整形外科の先生は私の背骨のⅩ線写真を確認すると、私の肩を叩き君はもう十分身体を使ったからこれからは頭を使って仕事しなさいといわれ、運動も水泳以外は一切禁止で歩いてもいけないとまで言われたのです、そして一緒に行った父親に説教が始まりました、貴方は本当に人の親ですか?何故息子さんにここまでの状態になるまで仕事をさせたのです、残念ながら息子さんの背骨の状態は既に老人のように軟骨が磨り減り、恐らく40歳中ごろには車椅子に乗ることになるでしょう、今すぐやめさせなさいと・・父親はそんなことになっているとは思いもしませんでした、私は息子の為なら商売をやめる覚悟も出来ます、金輪際息子に力仕事を押し付けはしませんと・・
この人達は所詮人の身体の痛みなんか知りえない人達でした、言いたい放題でしたが、私はその後4年間同じ仕事に従事しました・・そして車椅子になんか乗ってはいませんし、ウォーキングは私の健康法になっています、父親は言いました、お前は決して親を恨んではいけない、お前の腰の痛みはお前の人生の試練であり運命なのだ、だから一切を自分の責任として乗り越えなさい・・それが男というモノだとか・・はいはいそうですか、あなたがそう仰るならそうなのかも知れません、貴方を恨んでも憎んでも痛みが無くなる訳でもないし、代わってくれるコトも出来ないし、私は私の考えのままこれからの人生を生きて行くコトにします、ではさようならと言って自分の仕事を立ち上げても母親に泣きつかれたら助けるしかありません、現実的に自分の仕事からしたらマイナスにしかならなかったかも知れません、ずるずる引きずられずに綺麗さっぱり切ってしまった方が正解だったのかも知れません、人事ならそう勧めてもいたでしょう、でも私は強がりでもなく後悔なんかしていません、周囲の人が都合の悪いことを全て嘘にしてしまっても、私がいつの間にか悪人にされていようが気にしません、私はちゃんと覚えていますし、天も知ってくれています、それで十分です、私は世間の損得で生きている訳ではありません、世間からは私に損をさせようと入れ替わり立ち代わりやって来ますが、一体何を持っていこうというのです、私の荷物を持って行ってくれるならこちらから幾らでも差し上げますよ、貴方が貰ってくれるならやっと理解しあえるかも知れません、同じ痛みと責任を・・・