ニュートンはリンゴが木から落ちるのを観て万有引力を考えるようになったと言われていますが、この逸話が実際にあったかどうかは別にして、彼が体系化した古典力学は現在でも教育課程の基礎として学ばれています、哲学者であり数学者でもあったこの天才は様々な分野でその才能を発揮し功績を残しています、自身で考案した望遠鏡を製作し、光学や天文学に貢献し、数学では微分積分法を発見したのも彼でした、晩年は造幣局長を務めながら錬金術に没頭し、この世界の不思議を解き明かそうと努力し、結論を自分なりに決めた人でした、歴史に残る天才は一分野に突出した功績を残しながらもこのニュートンのように多方面に渡っても才能が発揮されるようです、というより、一つのモノを完結するためには多方面からの観察が余儀なくされ必然的に繫がっていくのかも知れません、あたかも人気アーチストが世に現れて一世を風靡し、その作品が支持され流行する時、そのアーチストのカラーで染められているように、二ユートンはニュートンカラーであらゆる事象を判断し特徴付けようとしました、これは香水を付けた人が道を歩けば微かに残り香を残すように、どんな人も共通しています、議論で自己主張して自分の考えを周囲を納得せしめようとし、国権を掌握した大王が後宮を造り自らの遺伝子を大量に未来へ残し世間を自分カラーで染めようとします、これらはある意味自然な流れでしょうが、勢いのある間はその人の決めたカラーは活躍しますが時が経てば別の天才が発案したカラーに置換わっていく宿命があるようです、世の中の法則は全て一過性のモノで、元来決った形は無く変幻自在を本質としているのかも知れません、しかし勢いのある人は何事も決めたがります、そしてその決め事で理解は出来ても考えが縛られてしまい、ある時は失敗し、ある時は苦しめられます、微分積分法以降の数学ではある種の矛盾を感じながらも私も苦しめられました、しかしそんな決まり事すら変わっていってしまうモノなら、闇雲に拘ることも染められることも無いのです。
ニュートンの提唱した万有引力はその時代の中で通用した古典であり、後のアインシュタインの重力理論に置換わります、そのアインシュタインの理論ですら量子力学に一部書き換えられていくのです、なら量子力学だけが永遠という事もないでしょう、アインシュタインは神はサイコロを振らないし、大自然の法則は簡潔でエレガントな答えがある筈だと人生が終るまで統一場理論の完成を夢見ました、しかしそれは彼自身が決めたことです、神も大自然も与り知らぬ領域です、彼が決めたコトの解を見つけようと数多くの天才が挑戦してきましたが失敗しています、最近ではこの世の単位が粒子ではなくヒモであれば統一された理論が完成する計算式が現れ、その計算式からはこの世が11次元であれば辻褄が合うという、計算的に答えを導き神のエレガントさを証明しようとする動きもありますが、何を決めても真実は人の決めたところには無いのです、逆にどこにでもあり、どこにも無いのが真実なのです、また新しい理論に塗り替えられるだけです、しかしニュートン力学があったからアインシュタインはその矛盾を発見出来、相対性理論を創案しました、そして相対性理論が発表されたから次の理論が出てくる足場となったのです、アインシュタインはニュートン力学のあくまで観測者中心のモノの見方を客観的に観察し、力学的に2つの物質運動は相対的なモノであるという観点からニュートン力学の限界を指摘し、自らの理論の証明方法を提案し、その後一部証明されるに至っています。
観測者中心の天動説のようなモノの考え方では惑星の複雑な運動を説明できませんし限界があるのです、そして相対性理論そのモノも物差しの一つとして重要な光速度の限界を決めてしまったコトにより様々な問題を抱えることになってしまいます、ニュートンが光学の分野で発表した光の性質やスペクトル分析を用いて地球から遠く離れた銀河を観測するとその光のスペクトルが赤方に偏って観測されます、これは近づく音と遠ざかる音が波の周波数を変えるドップラー効果として、その銀河が遠ざかっていることの証拠だとされました、遠くに見える銀河が遠ざかっているということは元を正せば一点に集中していたという結論になりビッグバン理論が導き出されたのです、しかし現在の発達した観測技術はより遠い銀河の観測も可能になっており、その観測結果から遠くの宇宙ではその膨張速度が加速しているように見えると発表されています、これが事実ならビッグバン理論そのモノに問題を提起します、徐々に膨張速度が遅くなるなら理屈が通りますが、それが加速し続けるなら最後には光速度に近づき飛び越えてしますかも知れません、光速で遠ざかる銀河からの光は地球に届くことは叶わなくなり、いくら望遠鏡の精度が上がっても観測も証明も出来なくなってしまいます、アインシュタインは光は波の性質が伝わるのでエーテルという媒体を思いつきましたが観測はできす証明できませんでした、一度は諦めましたが再び取り組んでいます,当然光速度不変の法則もそれなりの理屈があります、しかし真実を求めれば求めるほどそのハードルは遠ざかっていくのです。
アインシュタインは三大宗教の中で唯一仏教だけが現代科学と共存できると言っています、そしてその教義ではこの世の全ては空であり空が全てだとなっていますそのことに干渉を受けて質量はエネルギーに置き換えられるとする有名な E=mc2 の数式が発案された部分があるのかも知れません、しかしこの数式すら将来少し違うと書き換えられる可能性が無いとも限りません、真理は何時も人間が決めるコトより遠いところに在ると言うより、逆に人間が決めることによって真実を遠ざけているのかも知れません、人間は人間が創った檻の中で暮しているところがあります、お金と言う便利なモノが出現してからその価値観の物差しで縛られるようになりました、生きていくのに様々な制約を人間が自ら課して来たのです、いっそのコトお金の流通を無くしてしまえばどうなるでしょう、ベーシックインカムは生活する最低限度の経費を公が支出するというものですが、必要な仕事はそのまま続けながら全ての働く人が受ける報酬はお金で渡さず公のサービスを受ける権利として分配しすれば、無駄なく人間が本来やるべきことに立ち向かえることが可能になるでしょう、お金そのモノを無くしてしまえば、得るモノは大きいかも知れません、勿論銀行や金融関係や税務関係は大変革を迫ままれるでしょうが、国民全員がカウンタックに乗りたい訳でもないし、運転も出来ないでしょうから、ある一定数のカウンタックがあれば乗りたい人はそれを順番に乗ればコト済むのです、車に限らずいくら高価なモノを所有しても持ってあの世にいける訳でもないし、いずれ壊れるか誰かのモノになっていくのです、お金として溜め込んでいても名義人が亡くなれば自分以外に還元されるのだから同じです、決して共産主義を推奨する気持ちはありません、共産主義にしても、ご立派なスローガンで掲げた決め事に人々が苦しみます、国の代表は必要でも絶対権力者が要る時代は終っているのです、これから人類はそんな変化の過渡期に入り既存の利権者の断末魔は経験するでしょうが、その利権もあの世にはもってけないし、お金を無くせば国という概念も変わらざるを得ないのです、現在だって国の借金は国民が負担保証しているし、国民の借金を国が保証なんかしてくれていません、お金という決め事を無くす国の建設を提唱すれば世界中から実力者が集まりだすでしょう・・・