モノには価格があります、日本では普通定価と言う概念がありますが、素直に海外のバイヤーには理解して貰いにくいモノの値段になります、現在は農作物なら取り入れの後集荷され中央市場でセリにかけられ落札された価格が最初の値段となります、魚市場でも同じような作業で値段が決っていきます、収穫高によって需要と供給が引き合ったり揉み合ったりしながら、取引相場が変動します、仲買人が価格を付け、そしてマージンを上乗せして卸売り価格が市場から出荷される時点で設定されます、小売店に到着すると店頭に並べられ経費やマージンを上乗せして小売価格が表示されるのですが、この価格は小売店によって違いがあるし、時間の経過に拠っても未だ変動を続けます、通常扱える量が多ければ価格に対して影響力を行使できる立場になり安く購入できますが、一般の消費者が箱買いしても、マグロを丸ごと一匹買っても食べきれません。
モノには出荷価格があり卸売価格があり小売価格がありますが定価って何ですか?となります、まるで生き物のように変動するモノの値段を定めてものさしにしたものが定価なのですが、売る側の説明としてメーカー希望小売価格と位置付けられ商品のパッケージや書籍の裏表紙にも記載されたりします、電化製品でも自動車でも工場で加工され造られたモノには、殆んど定価が付けられています、一度定価を決め定価からいくら値下げしますからお得ですよという売り方もされますし、大手メーカーは自社の製品の小売価格を管理する必要の為に定価を設定し、小売が売り易い環境をつくっています、製品にはモデルランクがあり、製造原価の差もあるし、想定利益も異なるのであまり、価格を野放しにすると小売の思惑によって価格が一人歩きし、商品ランクが逆転してしまうこともありえるのです、しかし最近はネット販売の拡大で在庫を持たない販売が可能になり、定価という概念が壊されています、定価の何割引のセールですという従来の商法が通用しづらくなってきています、消費者側からしてみたらモノの価格が下がることは歓迎されるコトですが、量販店の強みに対抗する変化なのでモノを売る人たちは大変です、最近は量販店で現物をチェックしネットで安く買うという人も増えてきています、量販店も商品査定所にされるのは困りますが、その辺りの負担は売ってやる側の強みで結構メーカー側に押し付けてきたのが量販店の商法だったので、まさしくIoTの波をまともに被っています、変わっていけなければ淘汰されるかも知れません。
しかし定価の概念がしっかり生かされてる場所があります、例えば交通事故で車が破損し、修理代の見積書作成時には修理部品の定価が用いられます、タイヤ一本交換する修理見積で半額セールの価格は採用されません、しかし通常タイヤが磨り減って交換するときは誰も定価で買ったりしませんし、小売業者も定価ではお客さんに売れません、また公共工事の工事費用の見積でも、大きな本屋さんに行けば積算という分厚い本が並んでいますが、トラックや重機の使用損料と言う形で定価を基準にし、その使用料即ち作業に動員して価値が磨り減った部分を算出し見積もりに加えています、トラックも重機も定価で購入する会社はありませんが当たり前にまかり通っています、ある意味工事を請け負う側の利益保証に繫がるところもあるのですが、大きすぎる差益は官民癒着の温床ともなっています、定価は法で保護されている部分があるのです、マグロ一匹に定価が付けられることはありませんし、刺身にしてパック詰めにしても決ることはありませんが、缶詰に加工すると定価が決りますので、加工する工場の手間の利益確保が定価に入るのかも知れません、経費を掛けたからこのくらい下さいという希望の価格と言うことでしょう、しかし生鮮食料品でも缶詰でも産地直送でネットで購入できる時代ですし、企業の生産体制はグローバル化が進んでしまい、国内だけの既成観念や常識が通用しなくなっています。
日本を支えてきた大企業は試練を受けその存続をかけた生き残り対策が懸命に模索されています、モノを造ったり、出来たモノを売ったりする仕事は、サバイバル時代に突入していることは間違いが無いでしょう、モノを売るという行為は沢山儲けようとすればボッタクリといわれ、いずれ客に逃げられ、買う人に合わせて売ろうとすれば、やがて資金繰りが回らなくなってしまします、モノを売るときは自分の利益が最優先なので経費が掛かる部分は人に押し付け合うことに成ってしまい、あまり共同作戦が取りにくい事柄となります、利益が固い商材は誰よりも高値で落札して仕入れ、誰よりも競争力のある安値で売らなければならない、一見相反したコトを同時に満足させるという矛盾を孕みます、それを解決するには敏捷なフットワークと、人脈と相応の資金力が必要となります、そこに販売のプロが介在する隙間が生じる訳ですが、そんな人は屋号は持っていても基本的に個人商店です、定価も卸値も関係有りません、自分に入ってくる値段と自分から出す値段の二つしかありません、在庫を抱えることもしなければ、商品の品質に対する責任も負いません、責任はメーカーや持ち主に取ってもらうし、在庫は売って欲しい人に抱えさせるのです、純粋な商売として学ぶべきところは沢山有りますが、普通の人にはなかなか真似は出来ませんし、またそんな人が扱う商材は一般の人には手が届きません、・・
定価と言う保護機能が機能しなくなり、一般の消費者がモノの価格をネットで比較できる時代では、利鞘を抜ける商品の寿命は短くなります、一時期中国の観光客が各国に一斉に出向き所謂、爆買いしてお金を落とし、関係業者の売上に貢献してくれましたが、商品を大量に持帰って市場に入れたり価格を乱したことにより、正規輸入者の販売価格が崩れ、結局価格差が無くなり、同時に流行が下火になって、めっきりその数を減らしたように、安定した売上を見込める商品は無くなっていくのかも知れません、世間を見渡せば、あまり楽観的な商材は見つけにくく、マネーゲームばかりが目立ちますが、大きな変化の時は新しい可能性も芽生えますし、一般の人でもネットを通してその気で観れば、産業の無尽蔵とも思える隙間がその姿を現してきます、元々隙間産業は経済が成長しある程度形が付いた段階でもその発掘に力を注がれてきて、新しい産業を興してきましたが、今、自宅でパソコンの前に座りマネーゲームをして勝ち組と呼ばれている人たちの資金の行方は恐らくその隙間に流れるしかないのだと思います、そして一般の人が乗り込む次代の波もきっとそんな隙間から押し寄せて来ることでしょう、波の低い間に自分に合った波に乗り込み、新しい商品のプライスリーダーとなり個人商店の安定価を決めましょう!